入社式を終えて。「自分の人生」を生きることについて考えてみた。
お久しぶりです!
先日、東京に引っ越して無事に社会人になりました。
同じタイミングで社会に出た皆さん、一緒に頑張っていきましょう!
さて、今日は入社式で感じたこと、入社式を終えて新人として、日本でサラリーマンとして働くことについて考えてみました。
何年後かに読み返したら、「こんなこと考えててんなー」なんてニヤニヤするかもしれませんね笑
辞令について
いきなり攻めた内容になるのですが、辞令が交付されるのを待っている間に「俺は一生サラリーマンでは生きていけないな」と思いました。
僕たちは総合職採用なので、基本的にはなんでもやります精神で入社しています。
また、もちろん人事部との面談で自分たちの希望を伝える時間も頂いています。
人事部も社員の方もすごく親身になって話を聞いてくれるし、この人たちとなら安心してお仕事をさせてもらえるなと感じるような方々です。
さらに僕の所属会社はそれほど社員数が多くないこともあり、一人一人のことを大事にしてくれているなと感じます。
なんなら同期も優秀かつ人間として優れている人ばかりで、すごく人に恵まれているなと思います。
ただ、
それでも自分の仕事内容、仕事/生活する場所が会社の一存で決まることは大きなリスクと感じるのも否めません。
サラリーマンとして働くにあたっては、当然のことなんですけどね。
交付辞令を列になって並ぶ間、「俺のこれからの数年間の人生がもうすぐ決まるねんな」と思うと複雑な気持ちでした。
僕は若い間は海外も含めて色々な場所で仕事や生活をしたいと思っているし、自分が予想していたのと違う道を歩むことも基本的には受け入れられる、むしろ面白がって取り組める方だと自負しています。
実際、良い意味でも悪い意味でもこれまでの人生、自分の予想通りに行ったことはほとんどありません笑
振り返ってみると、はじめは「いや、まじか。。」「こんなはずじゃなかった。。」と思っていた道が最終的には良い結果に結びついてきました。
逆に、「よっしゃこれや!」「ずっとこれ目指して頑張ってきた!」みたいな場所に辿りついても、修行の日々になったみたいなことも多かったです。
なので、ある程度天に身を任せる的な感じで今では天を信頼しているのですが、これが定年までずっと続くのは厳しいな。。とも思います。
というか人生100年時代において、定年があること自体がリスクですよね。
まあそこら辺は現在進行形で変わりつつあることなので、なんとも言えませんが。
今は独身だし機動性も高いですが、家族を作る、子供を育てる、と自分一人で世界が完結しなくなってきたときには、自分、家族の環境はある程度自分達で決められるようになっていたいです。
先述の通り、僕は若いうちは色んな場所で色んな人たちと色んなお仕事させていただきたいと考えています。
その関係で自分の意思で、日系の総合職というポジションを選びました。
その選択に後悔はないし、これからこの職場で働くことを楽しみにもしています。
ただ、実際に辞令交付の前後で色々な生の感情が湧いてきたことも事実だということを書き記しておきたかったのです。
辞令後の悲喜こもごも
辞令が発表された後の休憩時間、もちろん同期達と自分の配属先について話します。
希望通りの部署にいけた人、希望していない部署に配属になった人、支店配属になった人もいれば、一年目からグループ会社に出向になる人など、本当に様々でした。
「よっしゃ希望通り!」と喜んでいる人もいれば、「。。。」となっている人もいました。
ちなみに僕はガッツリ後者 笑
一ミリも予想していない & 希望も出していない配属先だったので、驚きが5割、落胆が3割、不安が2割といった感じで、後日同期に「めっちゃ元気なかったで」と言われました。
しかし、後から先輩方やメンターさんから話を聞いてみたら僕の配属先は若手間で人気で、僕が将来的に希望しているキャリアパスにも即していることが分かったので一気に元気が回復。
基本的に単純な人間なので落ち込むときはめっちゃ落ち込むけど、立ち直りも早いです。
ただ、やはり消化に時間がかかる人もいたりして、上で書いたようなことを思ったりしました。
サラリーマンとして働くということ
「もっと自分の人生にコントロール感持ちたいなら、サラリーマンやめといたら?」
「サラリーマンはオワコン、毎日スーツ着て出荷待ちの家畜みたい」(news picks見てる人はソース分かるかな笑)
「新卒で大企業は時代遅れ、これからはベンチャー、起業がアツい!」
上のような文言は、ちらほらメディアとかでも見かけますよね。
結論から言うと、僕はこれらの内容が完全に間違っているとは思わないし、1つの事実だと思います。
なぜなら同じものを見ていても、あるいは同じ世界に住んでいても、それぞれの人に見えるもの、感じるものは様々だからです。
ただ、メディアとかで煽られる文言って人に注目されるためにどうしても過激で刺激が大きいものが多いです。
例えるなら自炊したものより、外食の方が味が濃くて一般的に美味しく感じるようなものです。
しかし、そんな糖と塩と脂たっぷりのものばかり食べていたら人間の味覚はおかしくなるし、健康も損なってしまうでしょう。
メディアも結局同じようなものだと感じます。
同じ事実でも伝え方、切り取り方を変えれば印象操作を行うことは容易であるし、中にはそもそも事実をベースにすらしていないものだってたくさんありますよね。
そんな中で他人の意見に振り回されていたら、一生フラフラしてなきゃいけないのでメディアとの付き合い方には気をつけないといけないなと感じています。
で、結局何を言いたいかというと自分の長いキャリアの一部をサラリーマンとして過ごすっていう選択肢は悪くないよね、ということです。
例えば僕は今、23才なので途中でfireなどしない限り、だいたいあと40-50年程度はほぼ確実に仕事を続けるわけです。
その中の最初の10-20年を企業でサラリーマンとして過ごすのって悪くない、むしろ流れ的には僕にはしっくりきます。
現状の日本のシステム的には、大企業から中小企業やベンチャー、起業への移動は容易ですが、その逆はかなり難しいです。
一度、大企業に入ってしまうと茹でガエルになってしまうというリスクも、もちろんあるでしょう。
ただ、人生設計の一部としてのキャリアを考える時、日本人の自分が日系の大企業でキャリアをスタートさせることは自分なりに納得感のある判断だと感じています。
会社での目標設定
じゃあ正規留学をしていた僕が日系企業のサラリーマンとして働くことにしたのか。
その理由は僕が大事にしたい「枠」と「守破離」の考えにあります。
「枠」について
「枠がないことでできること、枠があるからこそできること、両面をバランスよく学びましょう。」
これは僕が実際に頂いたアドバイスの1つです。
この考えってすごく大事だと思うんですよね。
仕事で例えるなら、枠のない(実際はあるけれど)働き方は起業やフリーランス、枠の概念が緩いのがベンチャー、枠があるのはサラリーマンといったところではないでしょうか。
僕の家系にはサラリーマンが非常に少ない、というか知っている限りではいないです。
皆、昔は勤め人でしたが何らかのタイミングで組織を抜けて自分でビジネスをする道に進みました。
ちなみに全員、髪が薄いので血筋的には僕もおっさんになる頃には、髪の薄い自営業者/経営者になっている可能性が高いですね笑
そんな家なのですが僕が企業人としてキャリアを始めるのは、良い選択肢だと思ってもらえているようです。
確かに自分でビジネスをすればお金も時間もサラリーマンよりも自由になります。
その一方で土日祝等の休みが確保されているわけではない、会社員よりも圧倒的に責任が重い等の側面もあります。
確かにサラリーマンは不自由な面も多いですよね。
総合職だと職場や部署を自分の意思で好きなタイミングで移動できることはかなり少ないでしょう。
しかし、大きな企業でしかできない仕事、経験、人脈の構築があることも事実です。
なので、若いうちは会社という枠に入って、その中で色んな場所で色んな経験を積むことがキャリア全体を俯瞰的に眺めた際にはむしろ良いのではないかと考えています。
「守破離」について
武道や〜道をしている方はご存知かと思いますが、これは人生においても非常に重要な考え方だと思います。
簡単に説明すると以下のようなものです。
守
指導者の話を聞き、その教えを守る。出来るだけ見聞を広め、様々な経験を積みながら「型」を習得する。
破
指導者の教えや「型」を時に破り、自分なりに工夫をしながら新しい取り組みを試みる。
離
指導者の元を離れ、自分自身で学んだり試したりしたことを実践に移していく。
これらを簡単にまとめると、「マネして、オリジナルを混ぜて、最終的に新しいものを作る」といったところでしょうか。
これはビジネスやキャリアにも当てはまるところだと考えていて、まず自分は「守」のステージをクリアしなければいけないと思っています。
一部では起業やベンチャーで一発当ててお金持ちになってハッピー!みたいな路線を目指している人も一定数いるし、実際に成功している人もいますよね。
僕もお金が好きなので、同年代の人が自分よりお金を持っていたら(持っているように見えたら)対抗心が沸いたりもします。
でもそこで思うのが、歴史上の偉人でそういう経緯の人って一人もおらんよな、ということです。
大体みんな若い時は団体に属したり、指導者の下で働いたりして、しっかりと土台を固めてきたからこそ、色んな偉大なことを成し遂げられたんだと思います。
日本の古い木造の寺院やエジプトのピラミッドが現在も残っているのは、構造や土台がしっかりとしていて、文字通り積み上げられて作られたからでしょう。
僕もビジネスマンとして、さらに一人の人間としてそういう道を歩んでいかなくちゃいけないなと考えています。
これからしたいことについて
僕の会社は基本的に年功序列で、若いうちは爆発的に稼げるわけではありませんが、歳を重ねるごとに順調に増えていくといった感じです。
ある研究によると年収800万円ぐらいを超えたあたりから年収増加による幸福度の増加はあまり見込まれなくなるそうです。
さらに貯蓄額は一億円を超えると、それ以上お金を貯めても幸福度は増えなくなるそうです。
こういった数字も見たうえで考えるのは、とりあえず若いうちはある程度安定した給与収入を確保した状態で、世界のあちこちで生活したいということですね。
やっぱり留学を通して学んだこと、経験できたことの量と質は圧倒的でした。
留学不要論があることも理解していますが、人の意見は十人十色。
僕の場合は、留学する機会をもらえて本当にラッキーだったなと感じています。
なので、若くて機動力や柔軟性が高いうちにもう一度、二度ほど、次はビジネスパーソンとして海外で生活したいと考えています。
なので、短期的な目標としてはとりあえず今いる会社の海外ポジションを狙っていくことです。
今までは北米に住んできたので、次はアジアやヨーロッパ、オーストラリアも良いな、なんて夢想しています笑
ただ、結婚もしたいと考えているので、そこらへんのタイミングも微妙だなと思うし、海外赴任時にパートナーがいた場合は、色々お互い迷うだろうなと思います。
相手のキャリアのこともあるし、家族を作るタイミングもあるだろうし、そもそも僕のように海外で生活したいと考えているとは限らないですしね。
まあ良くも悪くも、今のところはその心配をする必要がないので、しっかりと仕事に励もうと考えています。
まとめ
学生から社会人になるということで、色々変わっていないようで、実は色々変わりつつあるように感じます。
今は適度に緊張感のある日々を過ごせているので、もう少しして仕事に慣れてきてもそこでのんびりとあぐらをかいてしまわずに、色んなことに挑戦していきたいと考えています。
今回もお読みいただきありがとうございました!
2020年は「さよなら」の年でした。
こんにちは!
いよいよ2020年も終わりに近づいてきましたね。
皆さんは今年一年を振り返ってみていかがですか?
よく歳をとるほど一年が短くなるといいますが、僕にとっての2020年は非常に長かったです。もはや今年の1月1日に、水着でバンクーバーの極寒の海に飛び込んでいたのが、何年も前かのように感じます笑
タイトルにもある通り、僕にとっての2020年は「さよなら」の年でした。
友達との別れ、大学生活との別れ、カナダとの別れを経験し、そして身内の一人も亡くしました。
きっとこの一年間に、様々な形の別れを経験された方がたくさんいることでしょう。
いきなり訪れた別れ、ある程度は心の準備ができていた別れ。
色んな「さよなら」が交わされた一年だったのではないでしょうか。
自分の力ではコントロールできないことがたくさんあること、大事にしてきたものの儚さを感じたのは僕だけではないはずです。
自分なりの2020年のまとめとして、今年一年間の振り返りを行います。
カナダとの別れ
2020年3月20日。
カナダとの別れは突然訪れました。
この頃のカナダはかなりピリピリしていて、街はロックダウンされてダウンタウンも無人、スーパーに行っても食材やトイレットペーパーといった多くのものが売り切れていました。
まるで映画のような世界だったのを覚えています。
そろそろほんまにやばくなってきたなーと思っていたある日、9.11以来封鎖されたことが無かったアメリカとカナダの陸の国境が予告なく閉ざされました。
このニュースを見て、焦り始めた留学生は僕だけでは無かったでしょう。
それに伴って地方空港も閉鎖されていくのをニュースで見て、「このままだと本当にカナダに閉じ込められてしまうかもしれない」と思って、その三日後の日本に帰るフライトを予約しました。
初めてカナダに来たとき以来、買うことは無かった日本-カナダ間の片道切符。
本当にこれでカナダとはお別れなんだなとすごく寂しくなりました。
しかし、三日間で全ての手続き、引越しの用意をしなければいけなかったので、感傷に浸っている暇は皆無。
友達にも手伝ってもらいながら、持って帰れないものは捨てたり、リサイクルしたりして、なんとか出発前日までに部屋の片付けを終えました。
手助けしてくれた友達には、本当に感謝です。
急に帰国することになったので、その日の夜は最後のバイトのシフトが残っていました。
ちょい高級な日本人オーナーの寿司バーで働いていたのですが、僕が帰国することになったことを知って、最後だからと賄い用にたくさんのお寿司を握って、料理も出してくれました。
「最後やからいっぱい食べや」
と僕の好物をたくさん作ってくれた大将と女将さん。
その料理を食べながら、「もうこれでほんまに最後なんやな」と実感して、ちょっと視界が滲みました。
そして、迎えたカナダでの最終日。
街はロックダウンされていましたが、友達に空港まで送ってもらう道中で、どうしても最後にお別れを言いたかった友達数人を訪ねました。
カナダに来て初めて作った友達、一年生の頃からお世話になった先輩、大学生活を一緒に送った友達。
出身国が違う僕たちが、また同じように密度の濃い時間を一緒に過ごすことはないでしょう。
何かの本で読んだことがあるこのセリフ。
「僕たちがさよならを言うのは、もう二度と会えないからじゃない。もう二度と会えない今の僕たちにさよならを言っているんだ。」
またいつか会えたとしても、オンラインでは繋がっていられたとしても、同じ密度と同じ長さの時間を同空間で共有することはもうない。
そういう意味では、ほとんどの「See you again」は「Goodbye」と同義なのではなかろうか。
帰りの飛行機の中で「See you again」を聴きながら、そんなことを考えていました。
僕は元々、卒業後に日本に帰る予定だったし、それを前提にして就活もしていました。
ただ、心の準備ができていなかったタイミングで辛い決断をしなければいけなかったことが苦しかったのです。
でも、今回の件で予想していないタイミングで大きな決断をする、という決断ができたので、その点ではプラスでした。
とは言うものの、0から自分で作り上げたカナダでのコミュニティとの関わりを、自分の手で断ち切るのはとても辛かったです。
でも結局、なにかを選択するということは、なにかを捨てることと同じなのでしょう。
思い返せば、渡米したときは日本の大学進学の道を捨てたし、カナダの大学に進学したときは、日本で「人生の夏休み」を過ごす道を捨てたし、就活をしたときは卒業後にカナダに残る道を捨てました。
そうやって色んなものを捨てて、切ることによってしか、本当に欲しいものは手に入れられないのではないでしょうか。
大学との別れ
そんなこんなだで日本に帰国した僕。
大学生活最後の学期は、全てオンラインでした。
幸か不幸か僕がとったクラスのレクチャーは全て録画されていたので好きなときに視聴できましたが、ライブの生徒は大変だったようです、というか今も恐らく一部はライブのはず。。
留学先の国にもよりますが、中には完全に昼夜逆転生活を送らなければならず非常に大変そうです。
教授も大変なのは十分に理解していますが、やはり授業の質は下がってしまいました。
自分の問題でもありますが、全然やる気が起きないし、一日中半径2m圏内から動かず、ひたすらパソコンと睨めっこするのは大変です。
かと言って授業料が安くなるわけでもありません。
「こんなんほんまに留学って言えるんかい」とぶつぶつ言いながら、課題をこなしていました。
このようなご時世では、もう後輩に対して気軽に留学を勧めることもできません。
今、留学中のみんなは大変だな、と思いつつもコントロールできないことなので仕方ないですよね。
それでも、卒業が決まったときは嬉しかったです。
高校生のときに英語もあんまり喋れないのにアメリカに行ったときは、一部の先生からは「理解できない、できるわけがない」と言われたし、同級生からは「逃げの留学やな」と言われました。
実際、その通りだったので根に持っているとかではないのですが笑
カナダに来てからも、最初は友達0人からスタートだったし、初めての海外での一人暮らしで、まずはスーパーでの買い物の仕方から学ばなければいけませんでした。
キッコーマンの醤油買ってもなんか味違うし、適当なラーメン屋入って高いラーメン食べたら絶望的にまずいし、わからない、慣れないことだらけ。
下着を買いに行こうとして、Google マップで「underwear shop」で検索して行ってみたら、ストリッパー御用達のごりごりのコスチューム専門店に辿り着いて、「これから4年間ほんまに生きていけんのかな」と思いましたw
もちろん学校の勉強は難しいし、ダウンタウンは大麻臭いし、薬中のルームメイトと揉めるし、ホームレスの方にお金を恵んでと毎日言われるし、とりあえずストレスだらけだったです。
それでもなんとかカレッジから大学に編入できたし、友達も作れたし、そこそこ英語も話せるようになったし、合計で10個バイトもしたし、(少し)恋愛もしたし、格闘技もしたし、就活でも納得できる結果を出せたし、振り返ってみたら完璧とは程遠いものの、「俺、結構頑張ったんちゃう?」と思える留学生活でした。
支えてくれた両親と友達、その他大勢の人には本当に感謝です。
次にまた海外で新たな挑戦をするまで、次は日本で頑張ります!
2021
来年は、いよいよ就職です。
はじめての日本での一人暮らし、はじめての東京(多分w)、ということで楽しみにしています。
たぶん仕事は大変やろうし、また慣れないことも大変なこともたくさんあると思いますが、きっと頑張って生きていけるでしょう。
2020年もお世話になり、ありがとうございました。
良いお年を!
kindleで就活本を出しました!
お久しぶりです!
寒くなってきましたが、皆さんはお元気でしょうか。
僕は学校も卒業して、来年の四月の入社まで絶賛ニート生活を送っていますw
そんななか、いっちょ前に僕も後輩達からOB訪問を受ける立場になりました。
確かに、海外大生の就活って難しいし、国内生にとっても就活って大変ですよね。
そこで、kindleで就活本を出してみました!
僕が海外大卒生として、日系企業の就活を経験して感じたこと、学んだこと等をまとめてみました。
kindle unlimitedに登録されている方は無料で、そうで無い人もかなり手ごろな値段で読めるので、これから就活をする方はぜひ読んでみてください。
ためになった、ちんぷんかんぷんだった等、感想も教えていただけるとありがたいです!
ちなみに作者名はペンネームです笑
アンチトランプ派は本当に"リベラルで賢い"のか?バイデン氏の闇と偏りすぎなメディアについて。
昨今、ニュースでもよく取り上げられるアメリカ大統領選。
僕はアメリカ人でもないし、一年弱しか住んだことがないので特別な感情を持って選挙を見ていたわけではありませんでした。
しかし、一応カナダの大学でメディア学をかじった身としては、今回の大統領選におけるメディアの報道の仕方は非常に偏っているし、大衆洗脳的だと感じました。
特に日本のメディアはひたすらトランプ氏を下げるものばかりで、なにか恨みがあるのではないかと思うほど。
僕自身はそもそも投票権がないし、特にどちらを応援しているわけではありません。
(スタンスを取らないことは無責任だとかいう西洋式二分法信者の皆さんは、儒教やアリストテレスをかじって"中庸"というコンセプトについて少し勉強してください)
しかし、日本人留学生も含めた多くの"リベラルで賢い"人達がバイデン氏一択、トランプ氏に投票するなどありえない、といった態度であることに危機感を感じてこの記事を書こうと思いました。
あくまで僕個人の意見なので、気分を害しそうな方は読み進めないでください。
目次
- アンチトランプ派はなぜトランプが嫌いなのか
- バイデン氏は大統領としてふさわしいのか
- 米メディアの偏りについて
- 日本人留学生の意見の信憑性について
- そもそもトランプ氏はそこまでダメな大統領だったのか
- 日本のメディアの偏りについて
- まとめ:ファクトベース思考法の重要性
アンチトランプ派はなぜトランプが嫌いなのか
前回の選挙の時と比べて個人的に感じた一番の違いは、今回の選挙ではトランプ支持を公にする人が少なかったことです。
前回の選挙時にはFBやIGなどのSNS上でトランプ支持を公表している人が、僕の周りにはそこそこいましたが今回は全然見ません。
「トランプを支持するのは人種差別者だ」「良識を持っているならバイデンに票を入れるのが当たり前だ」という空気が流れており、下手にトランプ支持を公表できなくなっています。
それでは、なぜアンチトランプ派はトランプ氏を嫌っている、というか憎んでいるのでしょうか。
Forbes Japan (https://forbesjapan.com/articles/detail/17008)によると以下のような理由が挙げられています。
以下、ギャラップが7月5~9日に米国の成人1021人を対象に実施した調査から明らかになった「トランプ支持と不支持の5大理由」を紹介する(数字はそう答えた人の割合)。
-支持しない理由
・ 大統領にふさわしくない/気性が荒い/傲慢/不快── 29%
・ 経験不足/自分の行動を理解していない── 10%
・ 行動を支持できない/仕事がなっていない── 7%
・ 独り歩きしている/国民のニーズを考慮していない── 6%
・ ソーシャルメディア/ツイッターの使い方── 6%
確かに、彼のTwitter上での発言は大統領らしくないものが多いです。
主要メディア会社をフェイクニュース呼ばわりしたり、反対派の人への個人的な攻撃も問題視されています。
また、こちらの記事 (Bill Press: All the reasons I hate Trump - Baltimore Sun) では、彼の虚言、失言の数々に失望しているから、子供達のロールモデルとして相応しくないから、などといった理由が挙げられています。
これは肌感覚ですが、「彼が人種差別者、性差別者であるから」という理由もかなり多いように感じます。
バイデン氏は大統領としてふさわしいのか
上記のような理由で、今回の選挙では多くの人がバイデン氏に投票しました。
バイデン氏に特別の魅力を感じて投票した、というよりかはトランプ氏に投票したくないからバイデン氏にしよう、といった人が多数いたようです。
それではトランプ氏と比べて、バイデン氏は大統領にふさわしい人物なのでしょうか?
まず、バイデン氏のウクライナ疑惑について。
詳しくはこちら (Biden and Ukraine: What we know about corruption claims - BBC News)から確認していただきたいが、超簡単にまとめるとバイデン氏とその息子がウクライナで不正を働いた疑惑があるというもの。
ちなみに今のところ、決定的な証拠は出てきていないとされています。
それでは彼は人格者でしょうか?
残念ながら、彼もトランプ氏に負けず劣らず、数々の人種差別的な発言をしてきています。
「セブンイレブンやダンキンドーナツには、インド系の訛りがない限り行かない」
(アフリカ系アメリカ人に対して)「(もし相手の立候補が勝ったら)君たちはまた鎖に繋がれるぞ」
「Obama looks Black, acts White」等々。
実際の発言はこの動画で確認できます。
でもバイデン氏はトランプ氏と違って性差別主義者ではない?
確かにバイデン氏に、性差別的な失言の記録は特にありません。
しかし、不必要に女性議員や娘達に触っている様子がリークされています。
この様子を見て、彼をロールモデルとしたいと考える親はいないでしょう。
僕は将来、自分のパートナーや娘がこのような扱いを受けたら相手を締め落とします。
それでは彼の政治的な功績はどうでしょう?
討論会では、トランプ氏に「47年も議員をやってきて何も功績がないのはどういうことだ」と突っ込まれています。
確かに調べてみると麻薬に関するこういうのや(ジョー・バイデンの知られたくない経歴と大麻政策 | 文化 | ヘンプトゥデイジャパン)、こういうのは(A Hard Look at Joe Biden's Political Legacy Before His Vice Presidency Ends | Thomas Jefferson Street | US News)出てくるけど、これといった功績はほとんど見つかりません。
黒人差別に繋がっているされる三振法の施行にも加担していましたが、既にその法律が間違っていたことを認めています。(CNN.co.jp : バイデン氏、犯罪法「誤りだった」 州に責任と言及)
実際に、バイデン氏に投票した人でさえ、彼が過去のどのような政策を行ってきたのか知る人は少ないでしょう。
無いものは知りようがないからです。
これらの事実を踏まえると、「トランプが嫌いだからバイデンにした」人々は果たして正しかったのかと疑問に感じます。
米メディアの偏りについて
トランプ氏はこれまで散々、米国の主要メディアを叩いてきました。
それに反発するかのように、今回の選挙期間中も米メディアはトランプ氏を叩く報道ばかりをして、バイデン氏の過去の失言やウクライナ疑惑についてはほとんど触れてきませんでした。
こちらの記事(驚きの「80%」、大統領を徹底攻撃の米国メディア - ライブドアニュース)でも解説されているように、主要メディアの報道内容は非常に偏っています。
これがメディアのあるべき姿なのでしょうか?
他に具体例をあげるとすると、前大統領のオバマ氏の綺麗に作りあげられてきたイメージも実際の行動とは相反します。
例えば、彼は「核なき世界」の実現のために奮闘されたとされています。
広島への訪問も記憶に残っている日本人も多いでしょう。
しかし、実際にはオバマ氏の広島訪問はただのパフォーマンスだったとしか言えません。
彼は歴代の米国首相の中で一番、核弾頭削減数が少なかっただけでなく、自国の核兵器開発のための予算を110兆円確保しました。(https://www.nytimes.com/2016/05/27/science/nuclear-weapons-obama-united-states.html)
オバマ氏の訪問を泣いて喜んだ原爆被害者の方々の想いは踏みにじられてしまいましたが、日本の主要メディアがこのようなニュースを大きく報道することはありません。
さらに、オバマ政権下では米国軍によるドローン攻撃の数がブッシュ政権時の10倍だったという報告があります。
実際の数字は分かりませんが、これらの攻撃による民間人の被害者数は相当な数に上でしょう。
この人物が果たして、本当にノーベル平和賞を受賞するに値する人物だったのかは疑問です。
特に核兵器に関しては、世界で唯一の被爆国出身である日本人なら必ず知っておくべきことでしょう。
今もなおオバマ氏をサポートしている"賢くてリベラル"な日本人達はこれらの事実を知っているのでしょうか。
日本人留学生の意見の信憑性について
この記事の読者の皆さんの周りには、アメリカ留学を経験していた、あるいは留学中の知人がいる方も多いでしょう。
中にはニュースメディアの他にも、彼らが発信している情報も参考にしている方もいるかもしれません。
しかし、正直彼、彼女達が発信している内容も大きく偏っている可能性があります。
まずはこちらの地図をご覧ください。
この図からも分かるように、アメリカの東と西海岸を中心にバイデン氏が勝利しており、中心の方ではトランプ氏が勝っています。
アメリカに留学している日本人の多くは、これらの青い州にある大学に在籍しています。
そんな彼らが発信している情報はバイアスがかかっている可能性が高いです。
彼らの情報や意見が間違っていると言っているのではありません。
ただ、バイアスがかかっている可能性が高いという事実を認識し、彼らが発信している内容がアメリカの全てではないということを理解する必要があります。
そもそもトランプ氏はそこまでダメな大統領だったのか
上記の通り、トランプ氏は主要メディアに散々叩かれてきました。
よって彼の功績について知る人は多くないでしょう。
全て説明するより、こちらの動画を見た方が分かりやすいのでリンクをシェアします。
https://www.youtube.com/watch?v=ef7IthozHmY&t=327s
彼が動画内で述べているのは、単なる彼の個人的見解ではなく事実です。
とりあえずこれらの事実から判断するに、彼はアメリカ人にとって良い大統領であったと判断しても何もおかしいことはありません。
それでは私達、日本人にとってはどうでしょうか。
トランプ氏は歴代の米大統領の中でも日本人拉致問題について積極的で、国連でも拉致問題についても言及してくれました。
際立つトランプ氏の「共感」 拉致被害者家族に手紙 - 産経ニュース
これはブッシュ氏やオバマ氏はしてくれなかったことです。
在日米軍の予算関係では揉めていますが、アメリカにとっては合理的なことです。
一方で、バイデン氏は過去に安倍首相の靖国神社参拝にも反対していました。
自民党保守派はトランプ再選を望んでいる−−靖国神社参拝で安倍政権と対立したバイデン大統領誕生で予想されるやっかい事 - 記事詳細|Infoseekニュース
中国と仲良くしたいバイデン氏が大統領になったら、日本が不利益を被る可能性は非常に高いでしょう。
特に最近は、中国漁船の尖閣諸島周辺での活動が活発化しています。
https://www.youtube.com/watch?v=wqKPVC5by2o
さらに中国海軍は中国の管轄海域で違法な外国船が指示に従わない場合、武器の使用を可能とする法案を可決しました。
https://www.youtube.com/watch?v=Ek-_D5DKeJo
トランプ氏は中国とやりあっていましたが、バイデン氏が大統領になって中国に対してkiss assな姿勢を見せるとこれらの中国の活動がさらに活発化する可能性が高まります。
日本のメディアの偏りについて
ここまでご紹介してきた通り、米国のメディアも日本のメディアも相当偏った報道をしてきました。
トランプ氏は主要メディア会社をフェイクニュース呼ばわりしましたが、日本のメディアはどうでしょうか。
一例をご紹介します。
こちらは産経新聞の記事です。
トランプ氏「人種差別」発言止まらず 白人票に固執 (写真=AP) :日本経済新聞
突っ込みたい部分はここです。
産経新聞の記事には、"トランプ氏はマイノリティー層に支持基盤を広げるのではなく、白人層の求心力を高めることを優先する。マイノリティー層の投票率は低水準にとどまる傾向があり、支持を失っても、白人層の投票率を上げれば大統領再選につながると判断している節がある。"とありますが事実は異なります。
実際、彼は2016年に行われた選挙の時よりも非白人系からの支持を増やしています。
US election 2020: Why Trump gained support among minorities - BBC News
これはほんの一例ですが、他の日本の主要メディアもトランプ叩きに躍起になっており、日本語のニュースのみをリソースとしている日本人の多くが、正しい判断をできなくなっている状況にあることに危機感を感じます。
これはメディアによる情報操作、大衆洗脳ではないのでしょうか。
まとめ:ファクトベース思考法の重要性
今回はややネトウヨ的な内容になってしまいましたが、僕はトランプサポーターでもなければクレイジーな愛国者でもありません。
トランプ氏を援護するような内容を多く紹介したのも、トランプ氏に対するネガティブな情報は飽和状態である一方で、大手メディアが彼のポジティブな面に関する報道をしないからです。
さらにバイデン氏を支持するのは良くないと主張しているわけではありません。
消去法でバイデン氏を選ぶのも、トランプ氏の過去の数々の失言や粗暴な振る舞いを許せないと感じるのも理解できます。
ただ、バイデン氏を指示している人々の多くが、彼の人種差別的な発言、セクハラ、汚職疑惑、日本に対する態度について詳しく知っていないであろうことには危機感を感じました。
今回の記事で僕が強調したいのはファクトベース思考法の重要性とメディアとの付き合い方です。
自分の意見を持つことは大事です。
しかし、事実を事実としてしっかり認識すること、誰かの意見ではなく事実を根拠にして自分の意見を構築することは非常に大事です。
皆さんの周りでも口だけ達者で、SNSはキラキラ、しかし中身が伴っていない人がいるかもしれません。
メディアの報道も同じです。
オバマ氏のように綺麗事を並べて、聖人君子のようにメディアに仕立てあげてもらっても、彼の実際の行動を見ればそれらが虚像であることが分かります。
少なくとも核については、彼の言動は一致していません。
これは事実です。
このような虚像に騙されて、上記の動画の黒人の友人のように、「みんなが〜しているから」、「こうしなければいけない気がするから」といった理由で行動することは非常に危険で無責任です。
またメインストリームのメディアのみを信頼することも危険です。
それはネット上にあふれている怪しいニュースサイトや陰謀論を信じるべきだ、ということではなく、ほぼ全ての情報にはバイアスがかかっていることを認識して、様々な媒体をチェックして自分が摂取する情報の偏りを減らす努力をすべきだということです。
使用されている言語、報道されている地域、情報源のスポンサー、ターゲットとしている層によって報道内容は大きく異なります。
健康的な食生活と同じように、偏ったものばかり摂取していると偏った思考法になってしまいます。
世の中、右と左、白と黒、善と悪がはっきりと分かれているケースは非常に少ないです。
"スタンスを決める"という大義名分を掲げて西洋的な二分法に溺れて偏った思考法に陥ってしまうのではなく、グレーの部分としっかりと向き合う態度が大事になると僕は考えます。
卒業しました!カナダで学んだ僕が後輩に伝えたい2つの大事なこと。
先日、無事に大学を卒業しました!
コロナの関係で卒業式はオンライン開催だったのですが、いつか実地でもしてくれるそうなので有給が取れたら行こうと思っています。
この4年間振り返ってみてまず思うのは、「めっっっちゃ長かったな。。」ということです。
カレッジ進学、専攻の変更、大学への編入、クラブ/課外活動/バイト、六回の引越し、就活、コロナでの緊急帰国、オンライン授業、オンライン卒業式、とメジャーな出来事だけでも色々ありました。
自分で写真を見返しても結構顔が変わったな、と思いますし、帰国してからも「男らしくなったね」「落ち着いてるね」「おっさんになったね」「老けたね」とお褒めの(?)言葉をよく頂きます笑
というわけで今回はベタではありますが、今留学中の皆さん、そしてこれから留学を考えている皆さんに向けて、僕がカナダで学んだ2つの大事なことをご紹介したいと思います。
自分がコントロールできることに集中する
日本で生きていてもそうですが、海外で生活していると本当に色んな信じられないこと、今までの自分の中の常識ではありえないことが起こります。
些細なことでは、バスが時間通り来ない、待ち合わせ時間はもはや目安など、もっと大きなことでは、人種差別、ドラッグ、銃、貧困など、日本ではあまり馴染みが無かった様々な物事や問題が身近に溢れています。
このような環境は、はじめの方は本当にストレスフルでした。
待ち合わせ時間を全然みんな守らないし、バス来ないし、駅にトイレ無いし、中国人と間違えられて罵詈雑言吐かれるし、街中でホームレスの方にお金をくれとしょっちゅう言われるし、めっちゃ身近に違法のものも含めたドラッグがあるし、といった感じでした。
一つ一つの出来事は些細なものなのですが、これらが日常的に繰り返し身の回りで起こると段々、精神が疲れてきてしまいます。勉強が大変なとき、プライベートが上手くいってなくて精神的な免疫力が低下していたときは特に辛かったです。
そんな中で、何かの本で読んで凄く納得したのが、「自分が人生でコントロールできることに集中しなさい」というものでした。
他人や環境の根本的な性質を変えるのは難しいし、それらをコントロールするには多大なる労力を要する。だから、最もコントロールがきく物事、そして自分自身の行動や思考に集中することで、人生の幸福度が上がる、といった内容でした。
確かに、自分の力ではどうしようもないことに影響を受けることが多かったから、それならば自分でコントロールできることに集中しようと、思考や行動を意識的に変え始めたのを覚えています。
それからは、人間関係の断捨離を行ったり、バイト先や住む場所などの自分の周りの環境の質に自分なりにこだわったりするようになりました。
友達も結局、量よりも質です。
また、「置かれた場所で咲く」精神も大事ですが、自分が咲き誇れる場所を見つけるのも大事だと思います。
日本ではよく、一つの物事ひたすら続けること、一つの場所にとどまり続けることが美徳とされます。そして、それらの価値観から外れる言動は「逃げ」とされることも多くないでしょうか。
確かに、落ち着いて物事に取り組む姿勢は非常に大事だと思います。
長く物事に取り組んで、はじめて得られるものもあるでしょう。
しかし、「成長」や「輝きかた」の方法、物事に対する取り組み方、そして「一貫性」の定義は人それぞれなので、一概には言えないのではないでしょうか。
他人には見えない、その人だけの軸も存在します。
ランダムな経験を通して、初めて見えてくる自分なりの軸もあるでしょう。
皆さんも外的要因によって大きく人生の質が下がっていると感じるなら、自分がコントロールできることに集中することをおすすめします。
そうすることで、結果的に自分が思っていた通りに物事が進まなくても、「自分ができることはやりきったから後悔はない」と思えるようになると思います。
「あの時こうしておけばよかった」「どうしてこちらを選んだのだろう」と過去の選択を悔いてばかりいるのは全く生産性がないうえ、当時の自分に対しても失礼だし、結局は納得しきれるまで物事を詰めきれてなかったということだと僕は考えます。
今、自分ができることを精一杯やりきってあとは天に任せることこそが、人生における幸福感の向上に繋がるのではないでしょうか。
自分を見失わずに、成長する
留学生は、時として自分を見失いがちです。
一つ目の要因は言語でしょう。
日本語しか話していなかった人が、英語などの第二言語を話すようになると、「その言語を話す自分」という第二のアイデンティティができる場合が多いと思います。
話す単語や扱うコンセプトも違うので、その言語特有の価値観にも影響されます。
日本語を話している時は大人しい感じなのに、英語を話す時はアグレッシブルになったり、もっと明るい感じになったりする人も多いでしょう。
二つ目の要因は周辺環境の変化によるものです。
これは留学先の国や地域やそれぞれの学校の文化にもよりますが、日本とは大きく異なる環境で生きていくには、その環境に順応するために自身の性格も変わらざるをえない場合も多いです。
元々、大人しかったけれどアメリカのディベート文化に揉まれて、はっきりと自己主張するようになった。
環境問題や性差別問題にもっと関心を持つようになった。
白人に囲まれて暮らしているうちに、気付いたら自分も白人至上主義的な考えに染まっていた。
色んなケースがあると思います。
ここで気をつけたいのが、色んな要素をランダムに取り入れすぎることで、本当の自分を見失ってしなわないようにすることです。
それぞれの環境で快適に暮らして、また生き延びていくための環境適応は必要です。しかし、それが本来の自分のアイデンティティを壊してしまうほどのものである場合は、注意が必要だと思います。
例をあげるなら、あくまで傾向としてですが、アメリカやイギリス(一部)に留学した日本人の中には自己主張はしっかりできるのですが、人の話を全然聞けていない人が多いように感じます。とりあえず自分の意見を押し通す、相手が話をしている時でも話に割り込む、次に話すことを考えているような感じを受けます。
アメリカの大統領選のディベートやイギリスの議会をイメージしてもらうと分かりやすいでしょう。
別にそれが良いとか悪いとかいう問題ではないのですが、多分、日本では生きていきにくいだろうなと感じます。
逆にカナダに留学している日本人は、全体的に良くも悪くもいわゆる留学生らしくなくて、そこまで尖っていない人が多いように感じます。
僕にとっての成長することとは、様々な文化や慣習の中で、自分がいいなと思ったり、参考にしたいなと思う部分を自分の根幹にあるアイデンティティの周りにバウムクーヘンみたいに付け足していくイメージです。
そういった根幹部分を取っ払って、留学中に"新しい自分"を作り上げてしまう人は、人格も話す内容も薄っぺらくなりがちです。
その結果、卒業後の進路や生き方もあやふやになって迷走している人達を散見してきました。
自分の中の「自分らしさ(日本人らしさ)」を取っ払って、とんがりまくったまま帰国。
日本に帰ってきたものの、カルチャーアジャスメントを上手く行えず、「あー、(留学先の名前)に帰りたいなぁ」なんてぼやきながら、ジョブホッピングしたり、海外大学院への進学やアーリーリタイアを考えたりする人が多いのも事実です。
転職や海外大学進学、アーリーリタイアを否定しているのではありません!
きちんとした理由を持って、計画的に上記の選択肢を選んでいる方もたくさんいます。
ただ、そうしている人達の中にはあまり幸せそうではない、と個人的に感じる人が一定数いるのも事実です。
新しい文化に慣れること、色んな価値観に触れること、新しいことを学ぶことは留学生活において非常に大事です。
そのプロセスの中で、"かぶれる"こともあるでしょう。(アウチ)
大事なのは、留学前の"ダサくてカッコ悪い"自分から逃げないことです。
そのダサくてカッコ悪い自分が頑張ってきたおかげで、今の自分があるのです。
"自分探し"をするために、バックパッカーになったり、何かのセミナーに行ったりする必要はありません。
鏡を見れば、いつもそこに自分自身が見えるはずです。
そもそも"自分"とは探すものではなくて、知るものではないでしょうか。
そんな「本来の自分」も大事にしながら、色んな価値観に触れて自分自身をアップデートしていくことで、本当の意味でリアルで魅力的な人間に近づけると僕は考えます。
まとめ
今回は僕がカナダで学んだことをざっくりまとめてみました。
かなり抽象的なことも多くなりましたが、なんとなく参考になれば嬉しいです。
コロナの関係で、現在留学中の皆さんも、これから留学を考えている皆さんにとっても大変な時期だと思います。
上手に自分のご機嫌もとってあげながら、学びの多い留学生活にしてくださいね。
無難な生き方はダメですか? ライフプランニングって意味ないけど大事やんなって話。
就活生や元就活生の皆さんなら共感してくれると思いますが、
「これからの10年のプランを教えてください」
みたいな質問めっちゃ難しくないですか?笑
多分、内容よりも「こいつ将来のことちゃんと考えてんのかな」ってとこを見られていたんだと思いますが、
そういうの関係なく自分のライフプランニングって難しいよなって思います。
中学生の頃は自分が高校でアメリカに留学するなんて思いもしていなかったし、
高校生の頃は自分がカナダの大学に進学するなんて考えてなかったし、
大学生の頃は自分が不動産会社に就職するなんてことは考えもつかなかったです。
そんな感じではありますが、今までの人生、極端なアップダウンを繰り返しながらも、一生懸命背伸びしながら最後のギリギリで帳尻合わせるスタイルで、我ながら色々頑張ってこれたと感じています。
そして来春から僕も社会人。
自分の第一志望だった会社で働けるのは嬉しいし、同期も社員さんもみんな良い感じなので働き始めるのは楽しみです。
でもふと将来について考えたときに、「俺、無意識のうちに無難な生き方しようとしてへんかな」って考えます。
ちなみに僕的な「無難」の定義とは、目の前のリアルっぽいけど実は脆い"安定"にすがって、一般的に良しとされるものを追い求める、的な感じです。
帰国してもうすぐ社会人、っていう今のステージでよく周りの人に言われるのが、「日本人らしく振舞わなあかんで」「ちゃんと周りに合わせや」「下手に目立たん方がいいで」「東京行ったら関西人感出さんようにしいや」といったことです。
別にネイティブみたいに英語が話せるわけではないけど、海外で五年弱も過ごしたらやっぱり僕の中にも変化があるし、何より関西で生まれ育って根っこは思いっきり関西人。
そんな自分に"日本人らしさ"を押し付けて、"関西人感"を出さないようにって、それもう俺ちゃうやんって思うんですよね。
そもそも日本人らしさとか、関西人らしさってなんやねん。
勝手に人のパーツの一部を切り取って、適当にカテゴライズして、ええ気になって人を己のめめっちいスコープで見てくんなや、とも思います。
でも最近気づいてしまったんですよね。
そうやってめめっちくなってるのって、ほんまは自分ちゃうん?って。
留学中は良くも悪くも周りの目なんか気にしていなかったし、色んなことに首突っ込んで自由に生きていたように思います。
今は実家暮らしだし、コロナだし、とわりと仕方がない部分もあるのですが、来春から社会人になったときの自分が、めめっちく生きていってしまわないかなとちょっと考えました。
別にイキりたいとか、周りと違う存在でありたいとか、尖っていたいとか、そういう痛いのじゃないんです、多分。
ただ気付かないうちに周りに、そして自分自身に殺されていたくないなとは思います。
じゃあ、めめっちくない生き方ってどんなんなんやろなって単細胞なりに自分のライフプランについて考えるわけです。
とりあえず今の会社で専門性を高めたい。
ということは十年で三つの部署を経験することになる。
正直、一部署目の強い希望はないけど、二部署目で海外駐在したい。
シンガポールに行きたい。
そしてその勢いであわよくば社費でMBAもとりたい。
出来ればハーバード。今のスペックからやと死ぬほど勉強せなあかんけど。
MBAとれたとしたら、その後のキャリアはどうしよ。
一回帰国するか海外に残るか分からへんしな。。
待てよ、ということは仮に二部署目から海外に行けるとすると当分、日本に帰ってこない可能性が高い。
結婚相手はやっぱり日本人がいい。
ちゃんと日本人と付き合ったことないけど。
ということは結婚適齢期を逃す可能性がある。ヤバイ。
じゃあその前にお嫁さん見つけなあかん。
待てよ、そうなると俺は今から3、4年後に結婚している!?
しかもその段階で結婚するためには今から2、3年以内に生涯の伴侶と出会っている必要がある!!
どこで出会う?
職場?友達の友達?合コン?結婚相談所?
結婚出来ても海外駐在に連れて行くなら相手のキャリアはどうする?
やっぱりダブルインカムの方がいいけど、海外駐在やと難しそう。
自分の都合で相手のキャリアを中断させていいのか?
その責任をとる覚悟が自分にあるのか?
子供はどのタイミングで作る?
海外で子育てするってめっちゃ難しそう。。
バイリンガル子育てになるんかな。。
てか家を買うならどのタイミングでどこに建てる??
うーん、分からん!
となるといっそのこと独身で海外行った方がいいんか。。
最後の青春的な感じで遊べばいいんかな。。
でも寂しいよな、多分。
子供ははよ産んどいた方がええって言うしな。。
ここらへんまで考えて気付くんです。
「いや、自分めっちゃめめっちいやん」
現実的であることと、めめっちくないライフプランの両立は不可能なのでしょうか。
というか「めめっちくない生き方」って何なのでしょうか。
外銀、外コンに転職して鬼のように働いてお金をがっつり稼いで、がっつり消費すること?
GAFAに転職して"グローバルエリート"になること?
起業して社長になること?
がっつり若いうちに稼いで、さっさとリタイヤすること?
一流企業で定年までしっかり働いて、がっつり退職金もらって安定した老後を楽しむこと?
自分で言い出しときながら分からないです。
僕は誇りを持てる仕事をしたいし、結婚したいし、子供も欲しい。
お金持ちにはなりたいけど、ただのお金持ちじゃなくて裕福な人間になりたいし、世の中のためになるやりがいのある仕事をしたいけど、ちゃんと自分の家族も大事に生きていきたい。
そうなると自分のライフプランについて現実味を帯びさせた時に、多少"めめっちく"なってしまうのはある程度仕方がない、というか当然のことなんやろうなって思いました。
そして「めめっちく生きたくない」というその考え自体が、周りから埋め込まれたものなんじゃないのかと。
"Authenticity"を前面に出したマーケティング。
稼いだ金の額と職種で、自分の世の中における価値や希少性を確かめるための就職難易度、年収ランキング。
結局、自分の"オリジナル"の考え方って本当の意味ではオリジナルではない。
しかし、その一方で"めめっちい"個々人って、実は本当の意味で一番リアルでオリジナルなんじゃないのかなとも思うんです。
めちゃくちゃ話があっちこっちにいってしまいましたが、ライフプラン立てるにあたって一番重要なのは、何かを決めてそこだけに向かって計画を進めることじゃない。
なぜなら、そうすることで色んな可能性や選択肢を殺してしまう可能性は非常に高いから。
一番大事なのは計画を遂行することではなく、その計画を立てるプロセスで色々なことを考える、その思考にこそ意味があるよねって今の僕は考えます。
「〜らしさ」とか、「〜な生き方」といった非オリジナルなものを過剰に意識して自分を縛ってしまうんじゃなくて、中庸の精神を持って毎日、一生懸命生きることが大事なのではないでしょうか。
なんてね。
なまじ賢い風で書き終えるのは柄じゃないですね笑
皆さんもコロナで時間がある方は、自分のライフプランを考えてみてはいかがでしょうか。
ちなみに「LIFE SHIFT」っていう本、オススメです。
最後まで読んでいただきありがとございました。
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(海外YouTuber風)
また次の記事で!笑
日本叩きをする日本嫌いな日本人留学生達に物申す。あなたが本当に嫌いなのは日本なのか。
"あなたが本当に嫌いなのは、日本でも、日本人でもなく、あなたの日本人としてのアイデンティティ、あるいは日本人である、あなた自身ではなかろうか。" (まとめより)
目次
はじめに
元正規留学生の僕からすれば、日本人留学生はみんな仲間みたいなものだ。
色んなチャレンジを乗り越えながら、異国の地に根を張って逞しく生き延びてきた同志でもあると勝手に思っている。
それでも残念だなと思ってしまうのが、帰国してからとか留学中、さらには留学前にも日本の悪口を言い出してしまう人がいること。
今回は、日本人叩きをする日本人留学生達について書いてみようと思う。
1. 啓蒙家達
一番まだ可愛らしいのが、一年ぐらいの交換留学で自称生まれ変わりを果たして、オンライン啓蒙活動に励みだす人達。
とりあえず#metoo movementに乗っかって、BLMが流行りだしたら黒い四角をインスタに上げてみる。
slacktivismの是非をここで問うつもりはない。
行動が大事という正論もきっと正しい。
しかし、自分の"ファッション"を他人へのマウントとして使うのはどうかと思う。
彼らは多少目に付くが、基本的に無害である。
一方で残念なのは、行動しないことは悪を認可しているのと同義だ、的なことを言い出してしまう人達。
とりあえずblack and white fallacyについてお勉強しようぜ、と思う。
西洋的な二極化思想で、全ての物事に白黒つけられるほど世界は単純じゃない。
世の中には腐るほど色んな問題があって、あなたはその一つに着目しただけにすぎないのだ。
気候変動マーチに参加して、BLMのマーチに参加しなければ黒人差別主義者になるのか。
アフリカの子供のために募金をして、国内の災害救助のために募金しなければ非国民なのか。
ちゃうやろ。
自分達は常にグレーゾーンで、なんとか体裁整えながら生きている現実を忘れてはいけない。
2. 抗議活動家達
あとは薄っぺらい自称オンライン抗議活動家達。
いや、人権活動に熱心なのは素晴らしいことやけど、自分H&M着て、Nikeの靴履いてるやん。
ツッコミ待ち?
実はこれは高度なボケなん?
関西人としてそこはつっこまなあかんの?みたいな
一時IGのタイムラインを賑わせたBLM関連のストーリーも、もうほとんど見かけない。
たまに見かけても海外の友達のもので日本人のものではない。
黒い四角をインスタにあげて、東京や大阪でマーチしたあとでも黒人の方は亡くなっている。
それでも今日、僕達は何事もなかったかのように、今日食ったものや、自分自身に関するどうでもいいことをストーリーに上げている。
それは"本場"の人達が特に大きなアクションを起こしておらず、自分達は所詮、彼らの追従者に過ぎないからではなかろうか。
それが絶対悪だとは僕は思わない。
世界を良くするための行動を起こすことは大切だ。
しかし、世界全体のマイナスなこと全部と向き合って生きていくのは無理がある。
ただ、"他人事"の問題をあたかも"自分達事"の問題かのように騒ぎ立て、さらにそれを周りの人間にも押しつけた挙句、最終的に自分も飽きて、それを"他人事"としてポイ捨てするのはいかがなものかと思う。
3. 教育専門家達
あと一番多いのは教育関係。
日本の教育はまじでクソ、日本の性教育は終わっている、日本の教育のせいで日本人がこんなんになってしまった、やっぱり海外の教育は進んでいる、もっと海外の教育を真似るべきだ等々。
確かに正しいし、僕も同じように感じる部分も多々ある。
でも、ちょっと待て。
日本の戦後教育の基になっている教育基本法は、敗戦国の日本がGHQ、つまりアメリカ様から押しつけられたものやで?
戦勝国のアメリカ様に押しつけられた法律がベースの現在の日本教育をクソと呼び、そっからそのアメリカ様的な西洋教育を目指すのは皮肉すぎないか。
確かに日本の教育には、直すべきところがたくさんあると僕も思う。
しかし、アメリカ様のパクリでその問題は解決するのだろうか。
海外大でファンシーな教育学を学ぶのも悪くないが、もうちょっと目線を広げても良いのではないか、なんてひねくれたことも考えてしまう。
本当に賢くて真剣に教育について勉強されている方達が、上記のような薄っぺらいコメントをしているのは個人的に見た事がない。
4. アメリカ至上主義者達
さらに、アメリカ至上主義者達にも違和感を感じる。
"海外"ではBLMが盛んだから、let me teach you about the history of black peopleとか平気で言っちゃうし、「"海外"と比べて日本は、、」の文脈で使われる海外の多くがアメリカを指している。
いや、海外=アメリカはちゃうやろ。
小学生が「このおもちゃ、みんな持ってるから買って!」という時の"みんな"が、実際にはクラスの全員では無かったのと同じレベル。
確かにBLMのラリーは世界のあちこちに広がったが、それでも北米とヨーロッパ圏で行われたものが大半を占めている。
この分布図は日本人がどこの国のことを、"海外"と思っているのかを反映しているようにも思う。
それと比べたいのが、こちらの気象変動に関するマーチの分布図だ。
https://www.kikonet.org/kiko-blog/2019-03-14/3394
http://www.labornetjp.org/news/2019/0920kokuti
一概に比較することは難しいが、こちらの方が"世界"の人が関心を持っている"世界的な"問題であることは一目瞭然だ。
黒人差別問題が気候問題と比べて大したことないと言っているのではない。
しかし、この"海外"と"アメリカ"の、詐欺師まがいのすり替えはいかがなものだろうか。
そもそも黒人差別とpolice brutalityの問題もすり替えられているように感じるが、それに関してはここでは触れないでおく。
さらに自分がアメリカに住んでるなら、アメリカのことを知ってるのは当たり前だし、アメリカで起きていることに疎い日本人にマウントとるのも違うのではないか。
ハロウィンではシルバーバックのゴリラか、インディアンにキリスト教を押し付ける宣教師のコスプレでもしてんのかなと疑ってしまう。
「自分の周りには黒人がいないから実感がわかない」
「自分ごとの問題として捉えにくい」
といった日本人のコメントを批判している日本人留学生達を見てきたが、上図を見れば、むしろそちらの方が"グローバルスタンダード"なのではなかろうか。
黒人差別の歴史について学ぶのはもちろん大事だ。
しかし、これを"世界の問題"として、正論を振りかざしてマウントをとるのは、いささか乱暴な気がする。
でも、それはある程度仕方のない事なのかもしれない。
俺たち日本人はちっちゃい頃から、アメリカ=外国という価値観の中で生きてきたからだ。
実際、海外映画とか呼ばれているものの多くがアメリカのものだ。
洋画や洋楽の「洋」は西洋の洋であって、世界を指すわけではない。
しかし、実際僕らはこれらを海外の映画、海外の音楽とカテゴライズしてはいないか。
さらに外人といえば、基本的に白人のアメリカ人のことを指す場合が多いだろう。
僕はそうだったし、今も意識しなければそう考えてしまう。
そういう意味では、僕たちは無意識のうちにAmericanizedされていて、日本という国はAmericanization先進国なのだろう。
まとめ
ここまで結構ボロクソに書いてしまったが、そこそこ精細に書けるのは自分にも心当たりがあるからだ。
海外出てきてる時点で日本のどこかが嫌いな人が多いこともあるし、海外と日本を比べて日本の批判をしたくなるのも非常に分かる。
自分も実際に何回か特定の事項に関する批判はやったことある。
今だって「なんで駅でクレジットカード使われへんねん。遅れすぎやろ」とかぶつぶつ言っている。
別に特定の個人を批判するつもりはないし、みんな自分の意見があって良いと思う。
さらに、みんなそれぞれの人生のタイムライン上の違う場所にいるということもある。
みんな違ったバックグラウンドを持っていて、違う経験をしてきた。
それによって違う考えを持つのは当たり前のことだ。
ただ僕がどうしても気になるのは、自分が当たり前と思うことに"グローバル基準"という名の自分基準のラベルを勝手に貼り付けて、あたかも自分の意見が絶対的な正論かのように振りかざしてしまう留学生が多いことだ。
あなたは真の多様性を身に付けたのではなく、ただ単に違う国の価値観に影響を受けただけではないのか。
もっと深く踏み込めば、あなたが本当に嫌いなのは日本ではないのではなかろうか。
非常にセンシティブな問題なので慎重に議論したいところだが、日本人留学生、特に正規留学生の中には日本でネガティブな経験をしてきた人が非常に多い。
家族に問題があった、学校でいじめられた、自分のアイデンティティに関することで悩んでいた、日本社会で上手くやれなかった等々。
かくいう自分も日本でいじめられたことがあるし、日本の進学校で落ちぶれたことがきっかけで海外に出てきたような節もある。
お世辞にも日本でめっちゃ上手くやれていたとは言えないだろう。
(それでもやっぱり日本が好きで、日本に帰ってきたが笑)
というか、そもそも日本が心地良ければわざわざ膨大なリスクを背負って、正規留学をしようなどと血迷ったことを決断しないはずだ。
そういった意味では、日本人留学生の多くが"外れ組"や"イカれポンチ"であるのは、むしろ当たり前なことなのだ。
平和な野原で楽しくピクニックできる人間は、超高額な料金を支払って、線路の先が見えないセーフティー装置なしのセンターオブジアースに飛び乗って宝石を探しに行くといった、とち狂った真似はしない。
正規留学生あるあるだが、「留学いいなー」「自分もしたかったなー」と言われるたびに違和感を感じる。
彼らは正規留学生の日常を知らないし、どれだけの留学生が途中で消えたり、ジャンクになったりするかもしれない。
そんな中で、正規留学生達が生き延びる意志を保つモチベーションの一つが「日本に帰りたくない」「まだ日本に帰れない」「日本にいるよりはマシ」「日本にいるク○野郎どもを見返したい」といったネガティブなものだったりするのだ。
世の中、綺麗事だけでは生きていけないし、正より強い負のパワーで乗り切ることで生き延びられることも多々ある。
しかし、そればかりに頼りすぎてしまって、自分の中のネガティブなパワーが強くなりすぎてしまって、その反動が"日本叩き"という形で出てきてしまうのは残念だと思う。
それでは根本的な問題はいつまでも解決しない。
あなたが本当に嫌いなのは、日本でも、日本人でもなく、あなたの日本人としてのアイデンティティ、あるいは日本人であるあなた自身ではなかろうか。
弱い自分を許せない、上手くやれない自分を許せない、親を許せない、社会を許せない、自分は悪くない、自分は正しい、こういった自分の中のドロドロと向き合って浄化することでしか前に進めないと僕は考える。
「全然関係ないやん」
「自分はそんなんちゃうし」
と思われる方も多いだろう。
実際そうなのかもしれない。
しかし、今一度考えて欲しい。
それはただの自己防衛的な反応ではないのか。
"正論"で人をぶった斬ろうとするのは、自分が正しいか分からないからではないか。
他人を責めたくなるのは、自分自身のことを自分で認められないからではないか。
他人を批判するのは、自分のことを認めて欲しいからではないか。
いくら日本を叩いても、自分の日本人としてのアイデンティティは消えない。
いくら日本人を批判しても、自分の中の日本人らしさは殺せない。
いくら"海外"の価値観を身に付けても、上辺だけの変化では意味がない。
メイクやファッションを変えたって、外人と付き合ったって、海外に移住したって、インスタの投稿を全部英語にしたって、自分自身に嘘は付けないのだ。
一番大事なのは自身のコアの部分だからだ。
まずは自分自身としっかりと向き合って、自分を許して、自分を認めてあげるべきなのではないかと僕は思う。
そうすることで、日本や日本人、そして自分自身への見方も変わってくるはずだ。