浪速っ子 in Vancouver!

大阪に住み続けて18年の浪速っ子が一年のアメリカ留学を経てカナダへ!

”日本人らしさ”について

きっと日本で生まれ育った留学生なら一度は悩む”日本人らしさ”ってなんだ、ということについて今日は書いていきたいと思います。

 

(本記事で用いる”海外”とは主に北米のことを指しています。)

(やや斜が掛かった文体になっています。ご注意ください。)

 

バンクーバーはアジア人がすごく多いし街で道を聞いてきた人やバイト先のお客さんとかと雑談していても”カナダ人だと思ったよ”と言われて英語が上手くなったと言われているようで嬉しいような、しかしなんだか複雑な気持ちになります。

新しいカルチャーに馴染んできて、英語もそこそこすんなり出てくるようになって、自分の中の価値観が変わってきてることに気づいた時に意識し出すことが日本人らしさって何だということでした。

 

まず日本人らしさって何やねんというところから。

よく言われるのは礼儀正しい、大人しい、真面目、賢い、金持ち、伝統的、シャイといったところでしょうか。でも最近の成人式の様子やハロウィンで浮かれてトラック倒したりしているのを見ると(極端な例ではありますが)何だかしっくりこないというのが本音です。真面目で大人しいのもそれが結局”Karo-shi"などという言葉を生んだ要因の一つであるならば単純にプラスなものと捉えるのは短絡ではないかとも思います

 

それでも海外で日本人が悪く思われていると感じたことはアメリカでもカナダでもありませんでした。Made in Japanのものは今も信頼が置かれていますし数少ない差別の経験もアジア人であることがメインの要因で日本人であるということで悪く扱われたことはありません。これは多くの日本人留学生が共感してくれると思います。そりゃ日本人の君の前で日本のことを悪く言うような人もいないでしょう、という意見もあるかと思いますが大体風のウワサ的な感じで大体伝わるものです。最近バンクーバーでは中国人へのヘイトが結構出てきているのを感じます。ダウンタウンでも急に友達が"FU*KING Chinese! Go back to your country!"などと目の前で罵られているのを見たことがあるし学校の掲示板に明らかに中国留学生を揶揄した書き込みがあったりもします。人種差別が良く無いのは当たり前ですがローカルにそう言わしめる彼らの行動やマナーの悪さなどは僕も感じます。そういうところから考察するに日本人は今も昔も現地の人の怒りを買わずに、むしろ良い関係を築いてきたのではないかと思います。アニメや日本食も人気ですしマイナス点といえばAVの影響による日本人女性=Easyという偏見ぐらいでしょうか。自分も日本人であって良かったなと思うことはよくあるし、とりあえず海外で"日本人らしく"あることに特に問題点は無いように思います。

 

次に、僕の独断と偏見による日本人留学生のパターン分けコーナー。

1つ目は思いっきり日本人日本人している日本人達。彼らの多くは短期などで来ていてつるむのは常に日本人同士、英語もあまり得意ではなくファッションなども日本のものをそのまま持ち込んできている感じです。バンクーバーでは語学学校が多いダウンタウンなどでよく見ます。全体的に少し幼い感じ?

2つ目は日本人であることをやめた日本人達。これは何となく女性の割合が多いような。このグループは正規学生が多く日本語はほぼ喋らない、日本人ともつるまない、出来るだけローカルや他の国の留学生と同化しようとファッションやメイクなども現地のそれに合わせています。良く言えば適応能力が高い、悪く言えば自分達の根元のアイデンティティーをほっぽりだした人々といったところでしょうか。大体パーティーピーポー。

3つ目は中間の人々。僕も含めた多くの日本人留学生はここに所属していると思います。日本人のアイデンティティーは何となく保ちつつ日本人とも日本人以外とも全体的に上手くやっている感じ。ファッションなどもどちらに偏りすぎることもなく英語と日本語どちらで話すことにも抵抗は無い。バランスが良いとも中途半端ともとれるスタンスが故に迷える人々。

 

僕は個人的には少し2の要素を含んだ3だと思っています。日本人ともそれ以外とも仲良くしていますし日本語も英語も話します。でも格闘技や筋トレをしているので日本人の平均よりがたいがいいですし100kgの外国人と格闘技ジムで取っ組み合うのも、パブに行って友達と踊ったりすることに抵抗もありません。三年前まではハグをするのはもちろん、自分よりでかい相手と戦う(現在ブラジリアン柔術をしています)、パブで知らない人と混じって踊るなんてとんでも無かったことを考えると自分にも結構”海外色”が入ってきている様です。しかし18年間日本で生まれ育って日本人色がそう簡単に抜けることは無いです。となると俺は一体何なんだ、もっと日本人らしくするべきなのかなどと悩み出します。水と油が混じらないのと似た様なものですね。

 

そこで冒頭にも述べた様に”日本人らしさ”とは何ぞやと考え出す訳です。しかし日本にいる日本人が日本人であることをダサく思い海外の真似をしている時に海外にいる日本人が"日本人らしさ"に拘りだすというのも何だか皮肉なものです。日本の音楽もMusic Videoも海外の要素をを取り入れようと頑張り、邦楽と言いつつも歌詞は日本語と英語がごちゃまぜ、あるいは英語onlyのものも少なくなく映画館では欧米人が主役の映画にぞっこん、街中で頻繁に目にするブランドの広告のモデルも大部分が西洋人、よう分からんけどアメリカとか白人かっこええな、とどんどんメディアに意識を変えられていく日本人達。かくいう自分もそんなノリで初めはアメリカに行きました。別に外から日本を見ている俺かっけえなどとのたまうつもりもありません。

 

ただこの現象は日本に限ったことではありません。現在メディア会社の統合が進むにつれ大衆に大きな影響を与えるポップカルチャーである音楽や映画などが似たようなコンテンツが決まった会社から出て世界に発信されることで世界全体におけるいわゆる欧米化が加速しています。欧米のコンテンツによって各自のアイデンティティーを失っていっているのは日本人だけではないのです。世界を一つに、と言えば聞こえは良いですが要はメディアのコンテンツが大衆コントロールに使用されているということです。ハリウッドの映画で大体真っ先に死ぬのは黄色人種、アジア人や黒人がヒーローやヒロインのものが白人のものと比べてどれだけあるでしょうか? 冷戦期にアメリカで作られた映画の悪役はほぼロシア人、現在では中国やイラン、北朝鮮などです。こういったコンテンツを何の疑いも無しに繰り返し幼少期から見ることにより人々はメディア会社によって作り出された現実を実際のものとして受け入れていくのです。そうして日本で生まれ育った僕らの世代がアメリカ(白人)かっこいい、いわゆる日本らしいものはダサい、時代遅れと吐き捨てていってしまうのもある意味仕方の無いことなのかもしれません。洗脳とは何も怪しい教団内や拷問室で行われるものだけでは無いのです。

 

果たしてこの動きは新しく危険なものなのでしょうか?

歴史上人々は己のアイデンティティー、そして自由を守るために戦ってきました。1776年に独立宣言を出すまでに新大陸に渡った人々はイギリスの支配下から抜け出すために戦いました。その後も奴隷廃止を求めて立ち上がったキング牧師、フランスの植民地支配から脱するために戦ったベトナムなど個人、国家単位で見てもそのことが証明されています。

カルチャー面でも同じです。音楽で言えばロックンロールも元はブルースから生まれた音楽ジャンルですしファッション面でもズートスーツなどが己のアイデンティティーを表すものとして扱われてきました。完璧な0から生み出されたものなど本当は少ないのです。

このようなことから人もカルチャーも色んなものが混じり合い新しいものが生み出されるというのはずっと続いてきた人類の歴史であることが分かります。

 

それでは今僕が感じるこの違和感とは何なのでしょう。それは自分たちが「目的無く自分本来のアイデンティティーを顧みずなるがままに流されているのに気付いていない現状」な気がします。自分達の自由やアイデンティティーを守るために戦うどころかそれをほっぽりだして目の前の人参に踊らされてしまう。支配から抜け出そうとするどころか思考が支配されていることにも気付いていない。今自分達の周りで起きている変化は起こしているものでは無く起きているもの、あるいは起こらされているようなものであることに気付かずに毎日を忙しくしているうちにどんどんロボットのように、そしてみんな同じようになっていく怖さ、そしてそんな中で見定めなければいけない自分の立ち位置がよく分からないことに対する葛藤、というところでしょうか。

 

留学生って大抵国内では成し得ないことをするために海外に飛び出してきた人達です。自分もどうも国内進学がしっくりこなくて世界で揉まれて来いと背中を押してもらってここに来た一人です。はじめは英語よく分からないし授業ついていかれへんし友達も作らな孤独死してまうと全力で1,2年ぐらいは突っ走るわけですが三年生にもなりそこそこの安定飛行モードになってふと自分自身と周りを見渡して将来のことを考えるときに自分がどこから来て今の自分がどこにいてこれからどこに行きたいか考えたときに思考がこんがらがってしまう。自分で決めてきたはずの生き方が実は流されていたのではないか、自分の過去を否定して生きてきたのではないか、忙しくすることで深く考えないことをごまかしているのではないか、”自分らしさ”の概念と現実と欲求の間で悶える。

 

きっと正しい生き方の答えなんてあってもないようなもので大事なのは考え続けること、思考を放棄しないこと。生き方何ぞにそもそも定義なんて無くて日本人である自分が自分らしく生きることが日本人らしく生きることでもあってそれが結果的に"日本人らしく"ないならそれでもいいのではないか、それが国外に出た日本人としての自分が作り出した生き様ならそれがアップデートされた日本人らしさに将来なるかもしれない。

あっても無いような"らしさ”に囚われて身動きが取れなくなるのではなく自分に多少の振り幅を与えつつもまっすぐに生きることが本当の自分のスタイルの確立に繋がる、と自分は今考えています。

 

久しぶりに長文を書いてやや迷走と脱線まじりでしたかが如何でしたでしょうか?

共感できるとこ、自分はここはこう思うで、などと意見があればコメント欄で教えて下さい。

それでは。