あなたがインスタをやめた方がいい7つの理由:Youは最近病んでない?
いきなりですが皆さんはインスタグラムを使っていますか?
僕は現在カナダで大学生をしているのですが、周りでインスタグラムを使っていない人はほとんど見かけません。大学生ならほぼ全員が持っています。
きっと日本の大学でも同じではないでしょうか。(しばらく帰国していないので国内事情に疎くなってきています...。)
そんな僕らにとって身近な存在であるインスタグラム、実はあなたの精神が病んでいる原因になっているかもしれません。インスタのせいで気持ちが落ち込んだり、"インスタ疲れ"したことはありませんか?
今日はCommunication major (日本語でいうところのメディア学的な専攻) の僕がインスタグラムの闇について論文や研究結果を元に語ります。
読み終わった頃にはインスタのアカウントを消したくなるかも...?
(結構長いので興味のある方のみどうぞ)
目次
なぜインスタはヤバイのか
インスタはキラキラの集合体
「留学生活すごく楽しそうでいいね」「いつも友達に囲まれていて楽しそうだね」
アメリカにいた時もカナダに来てからもFBやインスタでたまにこのようなことをよく言われます。
「そりゃそうや!楽しいところや遊んでるところの写真しか載せてないから!!」
入学したてで友達が全然いなくて毎日一人で飯を食ってたことも"彼ら"は知らないし、バイトやトレーニング、勉強、何もかも上手くいかなくて押しつぶされそうになって、バスの中でフード被ってこっそり泣いてたことももちろん"彼女達"は知らない。別にそいうところまで知ってもらいたいとは思わないけれど、海外で四六時中楽しくほんわり生きていると思われるのもなんだかな、とも思います。与えられたチャンスに感謝はしているけれど楽しい事ばかりじゃないよ、と。
SNSはpublic / openな場所であり、そこでしんどい、病んでるアピールするのって結局は人の関心や同情を得る為。それは言わば他人を巻き込む型自慰行為だし、それを見た離れた場所にいる家族や友達に無駄な心配をかけることにもなるかもしれない。(特に大学生は恋人と別れた時にそれを暗示することをストーリーに載せてカマってちゃん/異性に自分フリーになりましたよアピールしがち) ←自分も過去にした事がある、マジでshame
そんなことするぐらいなら、自分が話したいと思う大事な人に直接電話なりした方が問題解決にもなるし、変な誤解を生むこともない。とりあえずネガティブなコンテンツは誰の幸せにも繋がらないから控えておこう、という理由で僕は基本的にポジティブなことしか自分のページにはあげないようにしています。
インスタというのはその人の生活の一部を切り貼りした上で、修正までかけられてたりもする超加工製品。このことを理解していない人が意外と多いのは中々に恐ろしいことだと思います。 プロレスに台本がないと思っている、AVの内容を全て演技なしの本物だと思っている、並みにヤバいです。そんなん知っとるわい、当たり前やんと思われる方も多いと思いますがここが落とし穴です。
気づくことと本当の意味で理解することでは大きな違いがあります。
SNSに関する色んな論文を読んだり授業で論じたり、さらにペーパーまで書いたりして分かったつもりになっている、そんな僕でもどうにも未だにインスタ上のコンテンツを現実のものと無意識のうちに混同してしまっていると思います。だから時には嫉妬もするし、孤独感を感じたりもする。目に見える目の前の写真と目に見えない画面の向こうの世界ではどうしてもリアリティーが違うので、脳が仕分け切れないのです。
あなたはインスタで垣間見える様子は、その人の生活の氷山の一角のピカピカしたところに過ぎないことをちゃんと理解していますか?
結局みんな人間なので色々ダサいことやめんどくさいこと、悲しいことを抱えて生きてるんです。どんなにインスタがキラキラしていても、いやインスタがキラキラしていればキラキラしているほど、それに反比例して実生活の輝きは失われていくのです。
なぜなら自分自身をSNS上で良く見せようとすればするほど、それは現実のセルイメージからかけ離れたものなっていき、そのねじれが自身への不信感や不安感に繋がるからです。
"The more miserable you are, the happier your social media posts"
↑自分のペーパーを書いていた時に見つけた一文。悲しいけれどこれが真実。
プチまとめ
インスタ=超加工製品 (加工されているものは基本体に悪い)
茹でガエル
ムキムキの男達、ナイスバディーの女の子達、モデル、俳優、お金持ち、そんな"理想的"な人々の写真を繰り返し日常的に見ることは実はすごく危険なことかもしれないんです。
今セメスター、ある授業のグループプロジェクトでSNS、特にインスタグラムが学生のself-esteemにどういう影響を与えているかというリサーチをしました。(ちなみにグループ名はSelf-esTEAM, 我ながら中々オシャレだと思っていますw) アンケートで学生からデータを集めたところ多くが「IG上のコンテンツが自分のself-esteemに悪影響を及ぼしていると思う」に「非常に当てはまる」「当てはまる」と答えました。同クラス内の生徒約100人から取ったデータなのである程度信頼できると思います。
結果について話し出す前にまずはSelf-esteemとはなんぞやというところから。
Self-Esteemとは日本語で言うところの自己肯定度。もう少し噛み砕いて言えば"ありのままの自分を受け止め前向きに進む力、自分の欠点も受け入れられる力、自分に対するポジティブなイメージを持つ力"になります。
日本語での説明が難しいなと思ったのでこの方のブログを参考にしました。
分かりやすく説明して下さっているので是非読んでみて下さい。
ではなぜ"理想的"なコンテンツを日常的に閲覧することが、自己肯定度の低さに繋がるのでしょうか?
まずは外見から。
僕達のチームはIG上のコンテンツの中でもBody imageに絞って調査しました。結果「IG上のモデルや俳優の写真を見た後、自分の体型や外見に劣等感を抱いたことがある」と答えた生徒が男女共に過半数を占めました。男子は大抵ムキムキのフィットネスインフルエンサーに対して、女子はモデルやアイドルなどに対してコンプレックスを抱きやすいようです。IG上の写真、特にインフルエンサーやモデルの写真のほとんどが加工、修正されているので現物より良く見えますよね。そんな人々の写真を見ることで人々は無意識のうちに自分と彼ら、彼女らを比較し「あー俺はこんなにええ体してないよな..」「私もこの人みたいにもっと美人やったらな..」とどんどん自己肯定感を下げていってしまいます。つまりIGを使っているだけで知らず知らずのうちに自分の外見への自信を失っていっているかもしれないということです。恐ろしや。
さらに外見だけでは無く私生活でも同じことが起こりえます。
例えば自分が独り身なのに恋人がイチャイチャしてる写真を見て「自分にパートナーがいないのは自分のせいかもしれない」と思ったり、運動しなきゃいけないと思っていても中々出来てないときに友達がジムにいっているのをストーリーでみて「自分ダメだな」と思ったり、一人ぼっちで週末勉強している時に友達がパーティーしているのを見て「自分の人生つまらないな」と思ったり。きっと何かしらあなたにも心当たりがあるはずです。とりあえず見なくていいものが見え過ぎてしまうのがSNSです。そのカップルだって実は今喧嘩中かもしれないし、彼女らもいつもいつもパーティーしているわけではないし、ジム通いが好きな彼も実は自分に自信がないから鍛えている、などそれぞれのリアルは全然キラキラしてない場合が多いです。それでも僕らの脳はそれらを現実、全てだと認識してしまうので結果どんどん自分が惨めに感じてしまうのです。
またこれは僕が個人のIGのアンケート機能を使ってとったデータなので母体数はあまり大きくないですが「人々は実生活で幸せになるよりSNSで自分を幸せに見せることの方により労力を使っている」というものに対して約85%以上の回答者が「当てはまる」と答えました。結局みんな実際は幸せそうに見えるほど幸せではないということでしょう。
カエルを熱湯に入れたら熱くてすぐに飛び出してくるが、カエルの入っている水槽を常温からをじわじわと沸騰させていったらカエルはそれに気付かず逃げることなく茹でガエルになってしまう、という話はご存知でしょうか。
これと同じことが僕らにも起きています。
しかもタチが悪いことに水の温度を上げ続けているのはインスタを使い続けている私達自身なのです。
あなたは知らず知らずのうちに自分で自分を苦しめていませんか?
"繋がる"ことでより増す孤独感
2017年にアメリカの48,000人の大学生に対してメンタルヘルスに関する調査が行われました。その結果、「過去12ヶ月間で非常に孤独だと感じたことがる」と答えた生徒は約68%にも上った、というデータがあります。また別の研究では35%もの生徒が「頻繁に不安感に襲われることがある」と答えています。
これはどちらもアメリカで取られたデータなので日本と比べるのは少し難しいですが、 (北米の大学は全体的に日本と比べて勉強量が圧倒的に多いし、卒業のハードルも高く、よりストレスフル) これらの数字から、いかに多くの学生が孤独感や不安感を頻繁に感じているかが分かります。
しかしこの"孤独問題"は学生間のみの問題ではありません。
2013年に出版されたAmerican Sociological Reviewによると、アメリカ人の一人当たりの近しい友達の平均数はたったの一人で、また75%もの人々が「自身の交友関係に満足していない」と答えたそうです。さらに45歳以上の三人に一人が「自分は孤独である」と答えています。要は老いも若きもアメリカには孤独な人が多いということです。
それでは日本はどうなのでしょうか?
我々日本人にとって恐ろしいデータがあります。
2007年にユニセフによって行われた「OECD諸国における子供の幸福度調査」によると「自分は孤独だ」と答えた15歳以上の児童の割合は24カ国中、トップで29.8%だったそうです。しかも2位のアイスランドに19.5%もの差をつけてのブッチぢりです。
では大人はどうでしょうか?
2005年に行われたOCEDの社会的孤立に関する調査では、「日常生活において人々との交流がめったに / 全くない」と答えた大人が15.3%と世界一でした。これらの数字からして、日本人は世界でもトップクラスの孤独な民族のようです。
孤独問題はとても難しいもので、外見、収入、人種、生活環境など様々な要因が考えられます。しかし僕はこれらの要因の一つとしてSNSの存在がとても大きな比重を占めていると考えています。特に若い時からSNSに慣れ親しんできた僕達ミレニアム世代にとってです。
ここで面白い論文を紹介したいと思います。
2005年に発表された「The Effect of Loneliness on Social Networking Sites Use and Its Related Behaviors」https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5016348/
という論文によると研究者たちは
「孤独感な人とそうでない人を比べた結果、孤独感とSNS使用の動機、またSNSの使用時間の長さの間に相関関係は見られなかった」
としています。意外ですよね。
「なんや、じゃあ別にSNSが人々を孤独にしてるわけじゃないってことやん」と思うかもしれませんが、これは半分正解で半分間違っています。
論文はこう続きます。
「人々が最初にSNSを使い始める時の動機は孤独感を癒すためではなく、新たな自分のアイデンティティを構築するため、というものである。それはその時点での人々の孤独感の有無とは関係が無い。しかし孤独な人々とそうでない人の違いは、孤独な人々は現実世界よりオンライン上でのコミュニケーションの方を匿名性が高いという理由で好み、現実世界より開放的、友好的になる、という点である。彼らはオンライン上ではより自分らしく、または理想的な自分でいられる、とも答えている。しかし皮肉なことに彼らのオンラインでの活動が充実すればするほどオフライン、つまり現実世界での自分はさらに孤独感を増していき、それに比例して現実世界での問題も増えていく。それらを癒すために彼らはより頻繁にオンラインに舞い戻ってくることになり、これが更に現実世界をより住みにくいものにする。彼らはこの悪循環に囚われてしまっているのだ」
これを簡潔にまとめると
「SNSが必ずしも人々を孤独にさせるとは限らないが、孤独な人々がSNSを使うことでより孤独になってゆく」
となります。
海で漂流している人が喉の渇きを癒すために海水を飲み続け、体内の塩分過多により死亡してしまうのと同じ原理です。
注:ちなみにSNSと孤独感の相関関係を示す研究が多数あることも事実で、この論文の筆者達もそれを理解しており「これらの研究結果は過去に行われたものと相反するものであり、この問題については更なる研究が必要である」としています。
しかし
思い出して下さい、上記の通り我々の多くがSNS問題云々を差しおいても、何らかの理由で既に孤独なのです。この孤独の世代にSNSが普及したことによって、孤独パンデミックが起きてしまったのではないかと僕は考えます。
要は火に油を注いでしまったという訳です。
SNSが孤独の原因になっているのか、孤独だからSNSを使うのかは、卵が先かヒヨコが先かという議論と似たようなものであるため明確な答えを出すのは難しいですが、SNSがメンタルヘルスに及ぼす悪影響は多くの人に理解されておくべきことではないでしょうか。
ちなみに"孤独"については前に記事を書いたことがあるので良ければ読んでみて下さい。
プチまとめ
インスタとはラットレースである
インスタ、それは野生の王国
僕はインスタは野生の王国、ユーザーはゴリラのようだと思っています。
「...は?」
意味不明だと思うので説明します。
まずゴリラの群れには常にヒエラルキーがあります。一番大きくて強いオスがシルバーバックと呼ばれ食料もメスも選びたい放題です。そして自分の強さを他のオスに知らしめるために胸を叩いて威嚇し、時には相手の上にのって優位性を誇示します。これをマウンティング呼びます。
マウンティング:サルやゴリラなどの霊長類が自分の優位を顕示するため相手に乗りかかる体勢などを指す表現として用いられていた。霊長類の自己顕示行為としてのマウンティングは相手がオスかメスかに関係なく行われる。: WIkipedia参照
これととても似たようなことが人間界のSNSでも頻発しています。
まずはヒエラルキー。これは大抵フォロワーの数や投稿のいいねの数が多ければ多いほど上位になります。実際に大学生を対象にしたSNSのアンケートで「フォローワーの数が多いユーザーのコンテンツの方が信憑性があると思う」に「とてもそう思う」「そう思う」と答えた学生は7,8割を占めました。実際お金を払ったら自分のアカウントのフォローワーを増やしてくれるサイトなどもあります。確か増やすフォローワー数に応じて値段も高くなる、的なシステムだったと思います。闇が深すぎる。
次はマウンティング。
これには露骨なマウンティングと間接的なマウンティング、ゴリゴリなものからおしとやか目なものまでバリエーションは多岐に渡ります。露骨なマウンティングには自分の持ち物、車、など物質的なものをひけらかす系が多いです。一応僕達も文明人なのである程度 ”品" あるいは"恥"を気にするのでオープンカーから札束をばら撒くといったような (ラッパーのMVあるある) とても露骨なのはあまり見ないと思います。
その代わりに間接的なマウンティングが多い気がします。
「今日は彼/彼女との記念日❤️」 毒訳:こんなに幸せな私達を見て!
「こんなこと成し遂げました!」 毒訳:すごいやろ!褒めて!
「旅行に来ています!」 毒訳:見て見て! ええやろ!
「このメンツやっぱり最高!」 毒訳:こんなに友達おるねんで! 全然孤独じゃないし!
等々。
結構心当たりありますよね、僕もかなりあって心苦しいです。
ある研究によるとミレニアム世代の三分の一以上が自分の休暇を実際のものより良いものに見せるようなコンテンツを投稿したことがあり、そのうち65%以上がそれを見た人が羨むようにわざとそのようにした、と答えたそうです。
もうみんなとりあえずウホウホ胸を叩きまくっているわけです。
授業でもクラスメートが「IG is a platform where people flex」って言ってて確かになと思いました。
高度な知的生命物体である僕達はこういう裏の意味に気付きながらもおめでとう、すごいね、いいね、などと空虚なやり取りを人間関係を保つ為に行えてしまいます。冷静に考えたら人の自慢もイチャイチャアピールもどれも不必要かつ時には不愉快なものであるはずです。しかし僕達の脳はハイスペックなので、あるいはそのようなコンテンツに慣れきってしまっているので深く考えすぎずにやり過ごせます。
もちろんSNS上でも心を込めてやり取りすることもありますし、親友や家族が幸せそうにしていると自分も幸せになって心から祝いたくなることだってあるじゃないか、そんな僻んだ見方しか出来ないのは不幸だ!という意見も出てきそうですね。おっしゃる通りです、100%同意したいです。実際心のこもったリアルなやり取りはSNS上でも可能だと僕は思っているし、それが故に僕はまだFBもIGも使い続けています。
しかしSNS上全体のやり取り、またはコンテンツで本心からのものと偽りのものだとどちらの方が多いと思いますか? SNSを閉じるときに幸せな気分である時と不幸せに感じるとき、どちらの方が多いですか? ちなみに僕達が取ったデータでは「SNS使用とネガティブな感情には相関関係がある」に過半数以上の生徒が同意しました。
それではどうして僕達はこのマウンティング、もしくは"かまってちゃん"をやめられないのでしょうか?
これには人間の本能的な欲求の一つである承認欲求が深く関係しています。
マズローの欲求段階説によると人間の欲求にはピラミッドのように段階があり、下から生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求の五段階があり、土台の欲求を満たすことで次の欲求を追求できるようになります。
詳しくはこちらをどうぞ。
先進国に住んでいる僕達は大抵、社会的欲求までは満たされている場合が多いので次に来るのは承認欲求です。このような仕組みで多くの人々がいいね乞食に成り下がってしまいました。実際の研究でもアメリカの10代の中高生にアンケートをしたところ"いいね"の数が感情の起伏の原因になっていると答えた学生が過半数を占めています。またいいねやコメントの通知を見るとき人間の脳内のドーパミン値が跳ね上がるようです。僕達がいいねの通知を見たときに何となく嬉しい気持ちになるのはこのドーパミンによるものです。
これは"インスタ映え"という言葉にも現れていると思います。
ちなみに英語でも類語(?)でdo it for the gramというものがあります。映える撮り方、映えるスポット、映えるもの(新商品のタピオカ) 、何故いちいち何もかも映えなければ、いや、映やさなければいけないのでしょうか? それはより多くのいいねをもらい自分自身の虚栄心を満たす為です。僕達はより多くのいいねを貰う為に、そして自分の脳を喜ばし続ける為にいかなる努力も惜しみません。"映えスポット"や"映えるもの"に大量の人々が群がるのはこれ故です。これらの行為が根源的な要求の一つである承認欲求がなせる技であるからには、人々がSNS中毒になってしまうのはある程度仕方のない事なのかもしれませんね。
ちなみにインスタグラムもこの事態を懸念していて現在カナダでは自分以外の投稿の総いいね数は見られなくなっています。個人的には良い試みだと思っています。
プチまとめ
我々は構ってもらいたいゴリラである
"セルフィー"の危険さ
セルフィーってよく聞きますよね。皆さんや皆さんの周りの人にとっても身近なものであると思います。それでは何故我々はセルフィーを撮るのか、思い出を残すためとかいう理由もありますがほとんどの場合SNSに上げるためではないでしょうか?
そんな身近な存在であるセルフィー、実はとっても危険なんです。
まずセルフィーとナルシズムには深い関係があることが様々な研究で示唆されています。ちなみにナルシズムとは自己愛、自己陶酔という意味です。"ナルシスト"という言葉はよく聞きますよね。自分が好きで何が悪いねん、とう言う方もいるかもしれませんが自尊心と自己陶酔は似ても異なるものです。
詳しくはこちらをどうぞ。
この方の記事と多少被るところもありますが、何故セルフィーがナルシズムの根源でナルシズムは危険なのかを説明します。
Swansea大学が74人を対象にセルフィーとナルシズムの関係を調べる為に四ヶ月間調査を行った結果、オンラインに彼ら自身の写真や動画をアップした被験者は25%もナルシスト的な特性が高まったとのことです。またセルフィーをアップしてより多くのいいねや肯定的なコメントを貰うことによってさらにナルシズム的傾向が強まっていったそうです。これらのいいねやコメントのことはインスタントフィーでバックと呼ばれます。
それでは具体的にナルシスト的な特性とはどのようなものでしょうか?
- 頻繁に嘘をついたり誇張表現を好んで使う
- 自分の非を認めず批判された時、過剰な自己防衛に走る
- 誤った自己表現、現実と自意識のずれ
- 約束を守らず限度というものを知らない
- 他人を貶める、感情の起伏が激しすぎる
- 他人を自己利益の為に使う
- 協調性、共感力の欠如
- 自惚れ、過剰なまでの自身の外見への自信
ナルシストって自分のことかっこいい、かわいいと思っている人、ぐらいの認識でしたがこれらは中々毒々しいですね。。ちなみに今先進国ではこのナルシズムが増加傾向にあると言われていて、上記のナルシストの特性を鑑みても事態を憂う研究者は少なくないようです。皆さんの周りにもページがセルフィーだらけの人、ストーリーにセルフィーばっかりあげている人いませんか?
ただ気をつけないといけないのがセルフィーをあげるという行為は絶対悪とは言い切れないということです。ある研究者はセルフィーをアップするという行為はこのSNS世代においては文化的規範である、彼らは単により効率の良い自分自身の表現方法を手にしただけではないのかという意見もあります。いわば昔の人が俳句を詠むノリで今の若者はセルフィー撮っていて、いとおかしと言う代わりにいいねをつけてるんじゃね、ということです。
皆さんはどう思いますか?
プチまとめ
セルフィー = "セルフ白雪姫の鏡"
インスタは二種類の時間泥棒
あなたは自分が一日何時間SNSを使っているか把握していますか?
自分はSNSに時間を使いすぎていると思いますか?
起きたらまずスマホを開けてベッドの上でインスタをスクロールしているうちに気付いたら1時間たっていた、みたいなこともあるかもしれません。SNSユーザーの多くが自分がSNSに時間を割きすぎていることを自覚していて、僕達のデータでも約8割が「自分はSNSに必要以上の時間を掛けてしまっている」に「とても当てはまる」「当てはまる」と答えています。ちなみに僕達のクラスでは一日の自分のSNS使用時間を自己調査して自己申告/分析するというものを行なったのですが、多くの生徒が自分が思っていたよりも長い時間、自分は1日の中でSNSを使っていることが分かったと答えています。
どうして僕達はSNS、特にインスタに必要以上の時間を掛けてしまうのでしょうか。
その理由はまずはインスタの特性にあります。自分がフォローしているユーザーの数にもよりますが大抵いつでもインスタを開ければ誰かの新しい投稿、ストーリーがあります。また自分のフィードの投稿を見尽くしてしまってもフォロー外のユーザーのコンテンツも見ることができますよね。つまりインスタは消費可能なコンテンツが常に無限大に用意されている、いわば24hのバイキングなわけです。しかもタダで電波が届くところならどこからでもアクセス出来ます。
この点ではツイッターも同様に中毒性が高いですが視覚的コンテンツを多く含むインスタグラムの方が人間はハマりやすいと言われています。人間の脳は常に新しいものを求め続けるので、その本能の赴くままに脳を喜ばせ続けているうちに私達は多くの時間を失っているのです。
またインスタは、moment、"この瞬間" という意味での時間も我々から奪ってしまいました。
ストーリーが良い例です。
乾杯する時やバースデーソングを歌う時に必死でそれをストーリーにあげている人周りに結構いませんか?
花火大会に来て花火を見るより花火の動画をストーリーにアップすることの方に夢中になっている人いませんか?
24hで消えてしまう数秒の儚いビデオクリップの為に、僕達は長い間記憶に残ることになったかもしれない貴重な時間を犠牲にしてしまっています。乾杯は絆を深める為、バースデーソングを歌うのは誕生日を祝う為で、ストーリーにあげる為ではないはずです。
こうして何もかもストーリーにあげようとすることによって我々の目的意識は歪んだものへと姿を変えていきます。
また、ユーザーはストーリーをセルフブランディングによく使うことが判明しています。例えば友達と集まってそんなに盛り上がっていなかったのに、誰かがビデオを撮りだした瞬間いきなりはしゃぎだしてあたかも楽しい時間を過ごしているかのように振る舞ったり、あるいは普段はお互いケータイ触ってばっかりでろくに会話もしない、それなのにストーリでは仲良し、あるいはラブラブであるかのように振舞ったり。
こうしてストーリーで自分を良く見せようとすればするほど私達は本当の自分を見失い、"今"を生きられなくなっていきます。
ただでさえ現代人は日々の生活の中で忙殺される過程で、自分の存在や時間感覚があやふやになってきていると言われています。自分が何の為に生きているのか分からなくなったり、ネガティブな意味で多忙で時間が早く過ぎてしまっていると感じたことはありませんか? あれです。
これはメンタルヘルスにおいて非常に危険視されているもので、SNSが現代病の一因になっているのではないかと言われているのもこれ故です。
ちなみにsense of presence (今を生きているという感覚)を取り戻すための方法として瞑想がよく取り上げられますがこれについては他の記事で書こうと思います。
プチまとめ
"今"に集中しよう
広告に"洗脳"されるユーザー達
"フリーランチ"という言葉をご存知ですか?
言葉の通りタダのランチという意味で、飲食店が無料の昼食で客を引きつけ、儲けがより多いドリンクを自発的に頼ませることでより高い収益を得る、という戦略のことを指します。
実はSNSでもこれと同じことが起きています。
IGやFB、またはツイッターを使うのに基本お金はかからないですよね。(通信料、デバイスの購入費などを除く) ユーザーから直接お金を取らない代わりにこれらの会社は広告料などで利益を出しています。大衆向けの広告も多く目にしますがSNSならではの広告はpersonalizedされた広告です。FBやIGでさっきまで自分がAmazonで見ていた商品の広告が表示されたりするあれです。これらの広告は個々人の趣向性に合わせてアルゴリズムによって作成されたものなので利益率が高いとされています。
これらの広告を見る行為はfree labor / audience laborと呼ばれており、要はユーザーはこれらの広告を見ることによって企業の利益の為に知らず知らずのうちにタダ働きさせられている、ということです。このことからもこれらの広告は道徳基準に適っていないのではないかと問題視されています。誰だって自分が知らない間にタダ働きさせられるのは嫌ですよね。
またある商品を繰り返し見せられることによって実際人間は、よりそのその商品を欲しくなる、という研究もあります。これはザイオンス効果 (接触回数の法則) と呼ばれているもので接触回数が多いものに人間はより親近感を感じるというものです。
タダで使わせてくれるんやった広告ぐらい見てやるわいな、という太っ腹なあなた!
SNS上の広告の危険性はこのタダ働き問題だけでは無いのです。
まずはプライバシーの問題。
個人情報が企業の利益の為に搾取されまくっています。FBで流行りの何とか診断をするときにアプリが受け取る個人情報の確認をしてきますよね。あれがその一例で合意するたびに僕達の個人情報が流出していっています。またアカウントを作る際に、めちゃくちゃ長い読みもしないような文面に同意させられるのも基本的に同じようなものです。
またSNS上の広告の全てが明らさまな"広告"の形をしているとは限りません。
人気Youtuberやインフルエンサーは「俺が使っているプロテインはこれ!」「私がいつも使っている化粧品の紹介をします!」みたいなのをよくやっていますよね。あれも立派な広告です。彼らは時に利益の為に製品を偏った視点から紹介したり、悪質な場合は実際には使ってなかったりします。エンターテイナーとしてユーザーに夢を見させることを悪だとは言いませんが、これは夢を見させる、というか場合によっては体の良い詐欺とも見られます。ステロイドゴリゴリの筋トレYoutuberが「俺はこのプロテインを飲んでデカくなった!」とか、整形バリバリの"モデル"が「この化粧品のおかげで若さを保てています」とか言っているのを見ると、どの口がほざく、と思います。
ここではステロイドの使用や整形という行為の是非について語っているのではありません。
これらは個人の自由意志に基づいた個人的な選択であり、他人にとやかく言われるものでは無いと思っています。別に誰かに迷惑をかけている訳ではないし、それで本人が良いなら別にええやん、というのが僕のスタンスです。
問題は "自身の利益の為に間違った因果関係を用いて、作為的にユーザーを"洗脳"している" というところです。
自身のステロイドの使用については言及せず、「このサプリと俺の努力のおかげで俺はここまでこれた」というのは100%正しくないし、ヒアルロン酸を注入して若く保っている肌を化粧品のおかげだとプロモートするのは事実と反しています。
この間違った因果関係を人々に吹き込んで、そこから利益を得る行為は果たして道徳的なものと言えるのでしょうか?
ただ難しいのは上記したように私達はフォローワーが多いユーザーのコンテンツを無条件に信じてしまう傾向があるので、何が"リアル"なのかを見分けるのは大変困難であるということです。もちろん実際に本人が使って本心から良いと思ってプロモートしてる場合もあると思いますが、お金が絡むとどうしてもきな臭い話が出てくるのが悲しき人間のサガですね。
プチまとめ
広告恐ろし
まとめ
上:それでもどうして僕はインスタグラムを使い続けるのか
いやいや、一万文字近く使ってインスタのことをこき下ろしといて実際お前も使っとんのかい、というツッコミが雨あられのように降ってきそうですね。
まとめの上編として自分がなぜインスタグラムを使い続けているのか話したいと思います。
簡潔にいうと"繋がっていたいから"です。
「なんだ、お前もゴリラかよ」、「そうです、僕もゴリラです」
僕は高校二年次まで日本にいて、その後一年間アメリカに、それからカナダに来て三年ほど経ちます。アメリカでもカナダでも現地の人や生徒、さらに世界中のあちこちから来た留学生と家族、友人、知人になり沢山の思い出を作ってこられました。ありがたや。そんな彼らと繋がっていられる場所がSNSなのです。というか元々SNSは人と人とを繋げる、というのが本来の存在意義だったはずです。
IGやFBのポストを見ることで遠くにいても長いこと会えていなくても「元気で頑張ってるな」とか分かるし、気軽にメッセージのやりとりも出来ます。薄い広い人間関係ってどうなの、という意見も最もですし繋がり過ぎることの危険性も確かにあります。しかし僕らの世代はデジタルの世代です。これから先、インターネットやSNSは無くなるどころかますます発達していくであろうし、それゆえ僕達はそれらについて学び、考え、適応していく必要があると僕は考えます。またインターネットやSNSのおかげで僕達の"交友"の輪は大きく広がりました。SNSは何もネガティブなことばかりでは無いはずです。
僕らはこのテクノロジーの発達の恩恵に授かることでより人生をより有意義なものに出来るチャンスを手にしているのです!
そのチャンスを不意にして、本能が赴くままにウホウホとマウンティングの応酬に明け暮れ、精神を病ませるだけだなんて悲しくありませんか?
I believe we can do better than this.
中:僕が編み出した対処方
インスタがヤベーのは分かったけどアカウント消すのはどうにも踏ん切りがつかないよ、という皆さん。Welcome to the team! 僕も同じです笑
それでは僕が実際にしている対処方を紹介していきます
アプリを消す
シンプルかつ1番効果的な方法です。アプリを消してもアカウント情報は消えないのでIG開けるのは1日のこの時間だけ、などと決めておいてその度にアプリのインストール、消去をすればいいです。多少めんどくさいですがダウンロードもログインも大して時間が掛からないし日中、SNSで時間を無駄遣いすることも無くなることを考えたらメリットの方が大きいです。
初めはホーム画面にお馴染みのアイコンが無かったら、そわそわするし落ち着かないと思いますが、意外と慣れるので我慢しましょう。これが我慢出来ないとなると、それはもうSNS依存ということになるので必要であればお医者さんやカウンセラーと相談することも考えてもいいかもしれません。喫煙者が禁煙方法について医者と話すのと同じことです。SNSごときで何をそんなに大袈裟な、とお思いになると思いますが、ここまで読んで下さったならSNS中毒によってもたらされる害も、現代病の恐ろしさもある程度理解されているはずです。
自分の身は自分で守りましょう。
極力他人のストーリーを見ない
ストーリーは多々、投稿よりもマウンティング率が高いように思います。しかも24hで消えることからもストーリーは"リアリティー"が強すぎます。例えば誰かが去年の夏休みにハワイに行った写真を見るより、今この瞬間に誰かがしていることの方が現実味があり、それに対するネガティブな思いもより強くなる傾向にあります。こういったストーリーを見ないことによって他人のウホウホ攻撃に晒される確率が少なくて済みます。
これだけでもだいぶ違うはず。
ブロック、ミュート
いつもナルシスティックなセルフィーばかりあげている、自分自身の自慢ばっかり、恋人とのイチャイチャひけらかし、など "こいつのコンテンツによくイライラさせられたり不快な思いをさせられているな"、と思うユーザー、あるいは"友達"いますよね。
速攻ブロック、あるいはミュートすることをお勧めします。
ミュートするだけならフォローを外すことなくコンテンツをブロックできるので波風立たせたくない方にもオススメです。出来るだけ自分のフィードはクリーンに保っておきましょう。
それと"友達なのに投稿にいいねを押してくれない、ストーリーを見てくれないなんてヒドイ"とかいう人 (多少メンがヘラっている可能性大) には事情を話して分かってもらいましょう。それでも分かってくれないなら、彼らはあなたを自身の虚栄心を満たす為の駒としか見ていないということなので現実世界でもブロックすることをお勧めします。嫌な奴と無理してつるんでいては自分と本当に合う人々と会うチャンスをどんどん逃していってしまいますよね。
下:僕が考える僕らがあるべき姿について
SNSについて、さらにSNSを使っている人間の心理について知ろう
SNSで自慢して気持ち良くなってるはずが、実は周りの人だけでなく自分の精神にも悪影響を与えている、というのは虚しくないですか。最近何となくSNS疲れしているなーと何となく思っていてもちゃんと原因が分からなければ問題も解決しようがありません。知識は力なり、です。
思いやりを持とう
承認欲求を生れながら持ち合わせた我々は言わば、ナチュラルボーン構ってちゃんな訳です。メシ食いたい、寝たい、と同じノリで構ってもらいたいのが人間なのでSNS を全く使わないのは難しいと思いますし、必ずしも完全に手を引く必要は無いかもしれません。それでも自分たちの振る舞いはある程度変えられるはずです。これから自分が何かコンテンツをアップロードする前に一瞬でも「俺 / 私、ウホウホし過ぎていないかな」と考えることでゴリラから人間に戻ることが出来るはずです。
より多くの人が思いやりのある行動をとることで、この世界はより優しいものになると思いませんか?
オフラインでの時間を大事にしよう
一度カナダで裕福な家庭にディナーに呼ばれたとき、全員がケータイに注視して会話も少なく異様な雰囲気だったのを覚えています。今になって父がよく僕達に「飯食うときにケータイ触ったらあかん!」と怒ってくれていた意味が分かりました。家庭外でも街中でケータイばっかりいじってて隣にいるのに本当の意味で一緒にいないカップルや、グループで集まっているのに全員がケータイいじっていたりする""友達"も散見されます。繋がりたいのに繋がれない、悲しい現実です。
かといってケータイ捨てるわけにもいかないので、せめて大切な人と時間を過ごす時や一人で時間を過ごしたいときぐらいはケータイをほったらかしにしてみてはどうでしょう。すごく開放感があるし、より密度の濃い実りのある時間を過ごせるはずです。
僕がある女の子とデートしたときに、その方はデート中ほとんどケータイを触らず、一度親から連絡が入ったときだけ「ごめん、親からだからちょっとだけ返信してもいい?」と聞いてくれてとても素敵だな、俺もこうあろうと思いました。そういう経緯から僕は友達と遊ぶときも出来るだけスマホをいじらないようにしています。
"リスペクト"という概念は、現代人からどんどん抜け落ちていっている部分だと思うので、そういうところを大事に出来る人間でありたいと思います。
まとめのまとめ
まずはここまで読んで下さってありがとうございます。
自分でも興味のあるトピックなのでついつい熱が入って長くなってしまいました。
SNSに良い面もたくさんあることは分かってるつもりですし、問題は媒体ではなく常に人にある、というご意見もあるかと思います。
ただSNSについて学べば学ぶほど自分が知らなかった、そして知らなかったことが恐ろしいと思うようなことがたくさん出てきて、これは自分の中で整理する為にも、そして皆さんに知って頂く為にも自分なりの言葉でまとめて記事にしようと考えました。
少しでもお役に立てたならば幸いです。
またこの記事が意義のあるものだと感じてもらえたならば遠慮なくシェアして頂いて構いません。少しでも多くの人々が安らかに生きられますように。
また近いうちにお会いしましょう。