「結局ボスキャリかよ」就活海外大生の独白
こんにちは。
もう9月ですね。気付いたら向日葵も俯いちゃって秋が来たなと思う今日この頃です。
さて、僕も今学期から4年生になりまして就活真っ最中です。
カナダに残ることも考えたのですが結局日本に帰ります。
そんな中、昨日後輩のRちゃんとご飯を食べていた時に色んな話をして、自分の頭の中が結構すっきりしました。このRちゃんはまだ二年生になったばかりなのに、卒業後のことをしっかり考えているとても賢い人です。
今日はそんな彼女と話して思い出したこと、気付いたことなどを中心にシェアします。
就活や学生生活で悩んでいる大学生の皆さんは是非ご一読下さい。
それでも日本に帰る
カナダでは大学卒業後に就労ビザをとることが出来ます。
これはアメリカやイギリスと比べてかなり留学生に優しいです。
僕もカナダで残って働くことをちょっと考えたのですが、やはり帰国することにしました。
理由は3つあります。
- やっぱり俺は日本人
- カナダに残るリスク
- グローバルで働きたい
やっぱり俺は日本人
僕は18年間日本で生まれ育った生粋の日本人です。
今はカナダで大学生をやっていますが4,5年前までは英語もあんまり話せなくて、現地生まれの日系人や帰国子女達には英語力でコンプレックスを感じていました。
しかしこちらで過ごしてるうちに「漢字を書ける」「尊敬語、謙譲語、丁寧語を使いこなせる」「日本の文化や風習に馴染みがある」など彼らにはなくて自分にはある強みもあることに気付きました。
両親共に日本人の日本人でも海外生活が長いと、漢字の読み書きが出来ない、敬語を使いこなせない、日本独特の習慣に馴染みが無い、という人は実は結構います。
なのでそんな日本人の僕が自分の力を最大限に発揮して成長できる場所は、やはり日本でビジネスをしている企業だと思いました。
カナダで「英語が上手い外国人」として働くより、日本で「英語が上手い日本人」としてキャリアをスタートさせた方がより多くのチャンスを掴めると思い、帰国することにしました。
カナダに残るリスク
カナダで卒業後に働こうと思うとまず就労ビザにアプライしないといけません。
これの取得に約6ケ月ほどかかり、この間はアルバイトなども出来ません。
まずこれが嫌だなと思いました。
散々親に金銭面でも負担を強いて来たので、卒業後の半年間ニートで過ごすことは申し訳なさすぎて出来ないです。
さらにこの就労ビザを取得からといって絶対に職にありつけるわけでもなく、自力で他のカナダ人とポストを争う必要があります。個人的な経験を元にした意見ですが、正直ここで満足する職にありつける可能性は高くないです。
ここから数年、その会社で働いた後に永住権のサポートをしてもらってPRの申請をします。このPRも必ず通るわけでは無く、受理されなかった場合は帰国するしか無いです。
もちろんこれらを全てパスして成功されている方もいらっしゃると思いますが、僕はそこまでしてカナダに残りたいと思っているわけでもなく、これらのリスクに見合うリターンが無いと感じたので帰国することにしました。
グローバルで働きたい
就活生あるあるに漏れず僕も「グローバルで働きたい」と思っています笑
じゃあカナダに残れよ、となるのですがそもそも「グローバル」って何でしょうか?
ちなみに僕は「グローバルで働きたい」を「世界各地で働きながら経験を積みたい」という意味で使っています。
カナダに残ってカナダの会社から海外派遣させてもらうというのはかなりハードルが高いですし、それが出来ない場合ずっとカナダで働くことになります。
個々人の定義にもよりますが、「海外で働く」ということは必ずしも「グローバルで働く」ということでは無いのです。
カナダでの就労経験を生かして他の国の企業に転職をする道もある、という同期の友達もいます。その通りだと思うのですが、僕は一生企業で働くのは嫌だと思っているので20代のうちに大きい会社で経験を積んで、自分で自分を養えるようになろうと考えています。その場合必ずしもカナダに残る必要はないという結論に至りました。
そこで僕が今目指しているのは日本で就職してそこから海外派遣で国外で仕事をするというものです。グローバル志向の会社に入っても全員が海外で働けるわけでは無いのは理解していますが、これは勝算があり、かつリスクの取り甲斐があると考えます。
あと現地就職する場合とでは給与に圧倒的な差があります。お金も大事です。
という訳で来月、再来月と色んなジョブフェアに行ってきます。
結局ボスキャリかよ
とりあえずボスキャリ
Rちゃん:「海外大に進学する日本人って要はみんなと同じ進路が嫌でわざわざ海外に来たのに、結局最後は就活セミナー行って、企業攻略して、リクルートスーツ着てみんなと同じようにボスキャリに行くのって何か嫌じゃないですか?」
これは僕もめっちゃ共感しました。
日本の受験社会が心底嫌になって海外に来たのに、就活となると国内の大学に行った人達と同じようなことをしている自分を見て、これでいいんかな?と思ったり。
ボスキャリでみんな黒いリクルートスーツを着て順番待ちしている写真を見て「こんなんしたないわ」と幻滅したり。
ここまで"自分らしく"進路を決めて生きてきたはずなのに、最終的に同調圧力に屈してしまうのか、とも悩んだり。
結局みんなコンサル、商社、金融らへんに落ち着くねんよな、何か嫌やな、と思ったり。
そういうのが嫌なはずなのに、それでも「ボスキャリ_攻略」などと検索している自分がいたり。
典型的な国内大学生がみんなと異なることを恐れるように、海外大生はみんなと同じであることを恐れる傾向があるように感じます。これは個人主義の文化が強い北米などの地域に留学している学生間でより顕著です。
僕もご多分に漏れず天邪鬼気味なので、就活は黒じゃなくて紺のスーツで臨みます。
(反抗の仕方が超地味w)
個性ってなんぞ
そこで考えたのが、ボスキャリに行かない、一般的な就活しない=自分らしい、になるのかということです。
一般的な就活をせずに起業したり、ベンチャーに就職したり、NPOで活動する人もたくさんいます。人それぞれの正解があるので、こんな選択肢は間違っている何てものは絶対無いです。実際にそういうキャリアパスを選んで幸せに生きている方達も知っています。
でも単純に「みんなと同じが嫌」という理由だけで"攻め"の選択をして、失敗してしまう人の話も聞きます。
人間は社会的な動物なので、どうあがいても一人では生きていけません。
どれだけ粋がっても結局何かのグループに属すことになります。
個性を表現するために髪を染め、奇抜なファッションをして、タトゥーを入れても「髪を染めて奇抜なファッションをしてタトゥーを入れている」グループに属しているのです。
それと同じで、"みんなと違う進路"を取ったとしても、"みんなと違う進路"に進むグループに属する訳で、そうなってくると結局みんなって何なんってなってきます。
中途半端なヤンキーがダサい理由はここにあります。
人としての真の個性や魅力は自分と向き合い、挑戦し続けることでしか身に付かないと思います。
周りを見ることも時には大事ですが、周りに気を取られすぎて自分を見失っている場合ではないのです。
結局"みんな"って自分の中で勝手に作り出した強迫観念じゃないですか。
そうして「みんなと同じフォビア」に陥ってベストな選択を出来なくなってしまうのは本末転倒です。それなら結果として他の人と似た選択肢を選ぶことになっても、その結論に至るまでの過程で生まれた自分らしさを大事にすることが、結局は自分らしい選択になるのでは無いかと考えます。
「今」を生きれない"意識高い系"若者達
僕が小中高の受験生活を通して学んだ大事なことの一つが「今を生きる」ことの大変さと大事さです。
幼稚園児の頃は小学校受験に向けて勉強し、小学生になったら中学校受験のために勉強し、中高生の間は大学受験のために勉強と駆け抜けてきました。
もちろん友達と遊んだり、家族と過ごしたりと楽しい思い出もたくさんありますが、ずっと心のどこかで受験、試験、つまりは未来のことを心配してたように感じます。
Rちゃんも「将来のことを考えるともっと勉強したり、インターンしたり、運動したりしないといけないと考えて、でもやらなければいけないことが多すぎて息が詰まっちゃいそう」と言っていて、分かるなと思いました。
将来のことを考えることも、目標を立てて、それに向けて努力することも間違いなく大事です。「You only live once」スタンスで今日さえ良ければ全て良しというのも、いささか短絡的であるように感じます。
実際に僕も日々、勉強、読書、トレーニング、自己管理に計画的に取り組むことで日々成長できるように生きています。
しかし、この「未来向上志向」に偏りすぎることには思わぬ落とし穴があるのです。
それは今を生きれなくなること。
未来にしか目を向けていないと常に強迫観念と向き合い続けることになり、これはとても辛いです。なぜなら未来に起こることなんて誰にも分からないからです。
さらに怖いのが誰も、あなた自身でさえもこの考えにブレーキをかけてくれないことです。
「良い会社に入る為にインターンします」「良い会社に入る為に二年生のうちから就活を始めます」何て言ってもほとんどの人がすごいね、意識高いね、頑張ってるね、とポジティブなことしか言ってくれません。
なぜならあなたが言っていることは絶対的に正しいから。
ここで「もうちょっと肩の力を抜いて学生生活楽しみなよ」などと言えば意識低い系のレッテルを貼られます。そしてそういう思いが自分の頭の中をかすめても、自分を律しなければいけないともみ消してしまいます。
そうして自分を不必要に追い込みすぎて辛くなってしまうのです。
未来の為に努力することは自分の人生を良くする為にしているはずです。
それなのに未来に向けて今を犠牲にし続けることをずっと繰り返していたらいつ私達は真の意味で人生を生きるのでしょう?
未来の為に生きることを今を精一杯生きれていない言い訳にしていないでしょうか?
僕はそうしてしまっていました。
人間、時としてその場に立ち止まったり、過去を振り返ってみたりすることの方が未来に向けて突っ走ることより難しかったりします。
今をしっかり生きることは未来の為に生きることよりよっぽど難しいことかもしれない、だからこそ私達はこの現実に向き合う必要があるのです。
死に際に後悔することリストにも、「働きすぎなければよかった」「幸せを諦めなければ良かった」などというのもあります。
しかし同時に「もっと行動すれば良かった」という後悔をされる方も多いとあります。
これらから導き出せる結論は「常に向上心を持って挑戦を続けながらも、今自分が生きている人生を大事にしよう」というものではないでしょうか。
我々がすべきは「幸せになる為の努力」であって、「幸せを犠牲にしてする努力」ではないはずです。
これを僕達、大学生に当てはめるとしたら「将来のことも見据えながらも、人生に一回しかない大学生活をしっかり楽しみ、充実させよう」ということになるはずです。
学業もアルバイトもインターンも課外活動も全部頑張ったって良いんです。
挑戦を続ける人は素敵です。
そしてそんな中でも友達や家族と大事な時間を一緒に過ごしたり、自然や芸術に触れたり、スポーツに打ち込んだり、芸術にどっぷり浸かる時間を取ったりすることで自分の人生をより豊かにするのも今の私達には必要ではないでしょうか。
生き急ぐだけの人生では死に際に満足できないと僕は思います。
最後に
就活の話のはずが人生について語り出しやがってこいつ大丈夫か、と思われたかもしれませんが心身共にすこぶる健全なのでご安心を。笑
就活するにあたって、今まで自分が人生の中で下してきた決断やそれに対する想い、自分がなぜ今までこうやって生きてきて、これからどう生きたいのかのかなど、自省の機会を設けられて良かったなと思います。
自分もスケジュールをパンパンにしてエンジン全開で生き急いで、自分を故障させかけたこともあるので、自分への戒めへの意味も込めてこの記事を書きました。
疲れ切ってしまっては人生どうにもなりません。
たまにはちゃんと自分のご機嫌も伺ってあげましょう。
目標地点にたどり着く為には時としてペダルを踏む足を止め、水を飲んで休憩し、ギアに油をさしてあげることが必要かもしれません。
そしてそれは決して「逃げ」ではありません。
むしろ無理して走り続けることが逃げてることになっているかもしれません。
リフレッシュしたらまた全力で飛ばしたって良いんです。
Carpediem!
皆さんの人生に幸あれ。