サトリーマンのつぶやき。

悟りきれない悟り世代、23才。 バンクーバーで大学生をやっていましたが、本帰国しました。来春から不動産デベで就業開始予定。

さよなら、カナダ。誰にも話せなかったことをここにぶちまける。

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2020-03-27

先週末、カナダから緊急帰国しました。

 

僕はカナダの大学に正規留学中の四年生で、五月からの夏セメスターが最終学期で、今のところ今年10月に卒業予定です。

今のカナダの状況を見る限り、事態はしばらく収束しないし、恐らく夏セメスターはオンラインになることでしょう。

(追記:大学からメールが来て、夏学期は正式にオンラインに移行することが決まりました)

 

そうなると予定通り10月に卒業できるけれど、もうあのキャンパスに戻って勉強することはない。そしてこの帰国が本帰国になります。

(追記:上記の通り、夏はオンラインになったので今回の帰国が本帰国となりました)

 

日本にいる方々は想像もつかないと思うし、それは仕方の無いことだけれど、海外ではコロナウイルスの影響が本当に深刻化しています。

 

僕はカナダのバンクーバーにいたのですが、WHOのパンデミック宣言に始まり、学校や公共施設の閉鎖、911以来のアメリカとの国境封鎖、複数の州や市の非常事態宣言発令、人々のパニック買いによる品薄、外出制限要請、店舗やレストランの閉鎖、と短期間のうちに事態が悪転していきました。

 

パニック買をする人達、品物の無いがらんとしたしたスーパーの棚、人が誰も乗っていないバス、閉店のサインを掲げたレストランの数々。まるで映画の中の世界のようでした。

 

そんな中でも「自分は若いし大丈夫」、「周りの日本人も残っているし、カナダ政府も頑張っているし大丈夫」「バンクーバーはまだ感染者がそこまで多く無いから大丈夫」「いざとなったらいつでも帰れるから大丈夫」と出来るだけ現実から目を背けて、出来るだけポジティブにいようとしていました。

 

それでも主要航空会社の減便/運休の予告、他国でのパンデミックの状況や、隣国であるアメリカの情勢や対応を鑑みて、これはもうそろそろ本当にヤバそうだ。このままカナダで孤立してはどうにもならないよな、と悩んでいた時に父親に「帰っておいで」と言われました。

 

僕の父は普段、僕にほとんど干渉することなく自由にさせてくれているのですが、今までも人生の数少ない要所で的確なアドバイスをくれていました。

最終的な判断はもちろん自分でしましたが、父の後押しがなければこの短期間で帰国することは出来ていなかったと思います。

 

帰国の決意をしてチケットの購入をしたのが火曜日の夜、そして金曜日の便で帰ってきたので、帰国の準備をするのは二日間しかありませんでした。とにかく時間がなかったので家の中のありとあらゆるものを捨てるorリサイクルして、自分のものもスーツケースに入らないものは全部諦めました。

 

そんな中で感情的になっている時間は皆無でした。

銀行、家主、バイト先、所属していた柔術ジム、フィットネスジムに帰国の旨を伝えて、全ての手続しなければいけなかったし、とりあえずやらなければいけないことが死ぬほどありました。

 

そうやって感情を押し殺して黙々と作業に取り組んでいたのですが、帰国日の朝は寝れず、起きて毎日朝ごはんに食べていたスムージー を作りながら、これがカナダ留学生活最後の飯になるんだと思った瞬間、どうしようもなく感情を抑えきれなくなって馬鹿みたいに泣きたくりました。

 

フライトの時間が迫っているし、いつまでも泣いていても仕方ないので、3分ほどで泣き尽くして、そこからは最後の仕上げの掃除に取り掛かりました。

 

今はもう無事に帰国して落ち着いているので、感情がまだ生々しいうちに文字に落として、自分の中でしっかり消化しようと思います。

 

目次

 

周りと違う決断をするということ。

アメリカでもカナダでも色んな国の色んな人種の人々に会ってきたけれど、日本人ほど周りを気にする人種はいないといっても過言では無いと思います。

 

学校では集団行動の作法と重要性を叩き込まれ、社会では「周りの皆さんのご迷惑にならないように」生きることを求められ、周りと同じ存在であることでやっと安心する。

西洋式の個人主義アイデンティティの確立、とは対極にあるものですね。

 

別にどちらか一方が優れているとは思わないし、自分自身この二つのハイブリッドな価値観を持っていると思います。むしろコロナパニックで近隣住民が食糧を求めて襲ってきた時のために銃を買い占めるアメリカ人より、震災等の非常時でもそれなりに社会的秩序を保てる日本人の方が人としては優れているとさえ思います。

 

それでも自分にとって重要な決断をしなければいけない時でさえ、"周り"を気にせずにはいられない日本人的な思考にはどうしても相入れません。

 

僕自身、周りとは違う決断をすることで、もちろん周りのサポートのおかげもあってここまで、満足する人生を生きてきました。

しかし、その全ての局面で多くの人からはネガティブな、そして一部の人からポジティブな言葉をもらってきました。

 

C判定から全国二位の学校に合格した時も、そこで落ちこぼれて高校三年生でアメリカに行くことを決めた時も、日本の大学受験を捨てて、大した英語力も無いのにカナダの大学に正規留学という進路をとった時も、卒業後にすぐ日本に戻ることにした時も、海外大生なのに日系トップの財閥系、ドメスティックな会社を目指しオファーをもらった時もそう。

 

全ての局面で大多数の人に「なんで今なん?」「やめといた方がええんちゃう」「失敗したらどうするん?」「誰もそんなんしてへんで」「逃げなんちゃう?」「無謀だ」と言われる一方で、少数の人からは「行動力あるね」「さすがやわ」「お前なら大丈夫」「なんか分からんけどお前は大物になる気がする」とも言ってもらってきました。

 

今回の帰国の時もそう。

多数に理解されず、一部に賛同される。

終わった後に周りを見渡せば自分と同じことをしている人間は誰もいない。

そして結果的に自分の行動は正しかったことが証明される。

もう毎回同じパターンなのです。

 

まだ向こうにいて、これから帰ってこようとしている留学生もたくさんいるけれどやっぱり少し遅かったと思う。まだ空港も開いてるし、フライトもあるから遅すぎることはなかったけれど、飛行機も空港も僕が帰ってきた時よりも圧倒的に混んでいます。

 

今は羽田での検疫を突破するのにも4、5時間かかると今朝のニュースで言っていました。そこにいる人はみんな海外からの帰国者なわけで、そこにいること自体が感染リスクを大きく高めることは明白です。ちなみに僕が帰国した時はバンクーバーでも日本でも全てのプロセスをほぼ並ぶことなく済ませられました。

 

何かの本で「重要な決断ほど早くすることが大事」「間違っていても早く決断をする方が、時間をかけて正しい判断をするより結果的に正しくなる場合が多い」と読んだことありますが、やはりその通りだと再確認しました。

 

あと今回のような重要な決断をしなければいけない時に周りの人間がどうするのか気にするのも僕は正直良くないと思います。周りの人間の考えや行動なんて気にしていたらキリがないし、そもそも大衆と同じ行動をしても、えげつない失敗をすることは無いかもしれませんが、大成功することもありません。むしろ大したことない結果になることの方が多い。

 

これは自分の進路を決めた時も就活をしていた時も同じでした。

周りと同じことをしていたら海外大に正規留学することは無かったし、一枠しかない第一志望の会社の北米採用者として選ばれることもありませんでした。

 

かと言って上記の選択をした時も、「みんなと同じが嫌だから」とか「周りと違う選択をすることで異なる存在になりたかったから」という理由で決めたわけではありませんでした。それって結局周りを元に意思決定をしているということで、周りと同じことをしているのと大差ない。

 

むしろ自分がしたいこと、進みたい道を見極めた末、結果的に周りと違う手段をとることになり、これまた結果的に周りと違う結果に辿り着いたというだけのことなのです。

 

ちなみに僕も普段はレビューのいいレストランに行くし、レビューのいい製品を買うし、信頼されているブランドのものを使います。大きな決断をする時以外では、基本周りと同じことをしています。

 

あとここまで散々偉そうなことも書いていますが、日常レベルでは物を失くしたり、人間関係で揉めたりと様々な判断ミスを多々犯しています。抜けている、詰めが甘い、などともよく言われますし、実際そうです笑

 

話が少し脱線しましたが、そういうわけで今回の選択も自分にとって正しいことは正直帰国前から分かっていました。

それでも僕も所詮ただの一人の人間、そんなに人生経験も無い若造です。

本当にこのタイミングで帰国するのがベストなのか悩みまくったし、周りの反対意見ももっともだとも思いました。いつも大抵の反対意見は至極最もなものばかりです。

 

いくら親に帰って来い、と言われても最終的に帰国の判断をするのはあくまで自分です。むしろこの状況下で本国に帰ってこいと言わない留学生の親はほぼ皆無でしょう。

 

それぞれの選択肢に伴うリスクを天秤にかけ、何が今一番大事で、どのリスクをとるのが一番正しいかも考え尽くした結果、このタイミングで帰国するしかないと結論を出しました。

 

進む道を決めたらあとは一切振り返らない。

今回の件は辛くなかったと言えば嘘になるけれど、非常時に素早く行動することの大切さを学べたし、新たな免疫がついたので人生スパンで見れば良い学びの機会だったなと思います。

 

これからもしっかり物事を考えて迅速に動ける人間でありたいと思います。

 

日常を唐突に終わらせるということ。

百日目に死ぬワニという漫画をご存知でしょうか?

偶然ですがワニ君が死んでしまった日と僕の帰国日が同じでした。

 

彼も百日目までは普段通りの日常生活を送っていたものの、いきなりそれが終わってしまいます。僕は別に死んでしまったわけではないのですが、自分の留学生活の終焉と重ね合わせて、日常というものの儚さ、そして大切さを実感しました。

 

恐らくワニ君がヒヨコを助けるために飛び出したのは一瞬の判断によるもので、飛び出すことによって自分が死んでしまうことは、飛び出すという判断をした瞬間には考慮していなかったでしょう。

 

しかし僕の場合は、一応少ないなりに考える時間はあったし、カナダに残るという選択肢ももちろんあったわけです。それでも僕は日本に帰る、カナダでの日常を自分の手で終わらせるという決断をしました。

 

冒頭にも書いた通り、夏セメスターをオンラインでとることになれば、もう大学生としてカナダで過ごすことはなくなることも分かっていました。

それはやっぱり凄く辛いことだったし、外出禁止要請が出ている中でカナダにいる友達にお別れを言うことも出来ないまま去らなくてはいけないことも辛かったです。

 

しかしそれでも自分にとって一番大事なことは、大学でも、就職のことでもなく、友達や彼らとの思い出でもなく、自分の身の安全でした。

人間誰でもあれもこれも欲しがってしまうのは当たり前のことで、僕も色んなことを考え出してどうすればいいか分からなくもなりかけました。

 

でも自分の最優先事項を明らかにし、それを達成することのみに集中して、驚異の早さで帰国することが出来ました。

 

もちろんその選択をしたことに後悔はないし、むしろ誇りに思っているけれど、帰国してとりあえず落ち着いた今、カナダでのあの日常はもう戻ってこないんだな、と改めて実感して切なくなります。

 

いつか行こうと思っていたあのレストランに行くこともないし、みんなで図書館で勉強することもない。週末にみんなで集まって遊ぶこともないし、柔術のジムで仲間と汗を流すことも、バイト先で大将や女将と楽しく働くことも、そして何よりもあのキャンパスで授業を受けることはもうない。ちょっと遅刻して行ったあの授業が自分の最後の授業になるなんて、思いもしなかった。

 

結果論的に「あの時こうしてよけばよかった」という後悔は基本的にしないのですが、純粋な喪失感は感じます。

 

今回のことで普段何気なく送っている日常の大事さ、そしてその儚さを身を持って学びました。

 

築き上げてきた人間関係を手放すということ。

三年半前にカナダに来た時は、僕は正真正銘の一人ぼっちでした。

 

家族もいないし、親戚もいないし、もちろん友達もいない。

 

学校でも日本人はほとんどいなかったし、他の留学生達は授業外では母国語ばかり話すので、初めの一二学期間は孤独で辛かったです。

 

それでも自分から色んなことに挑戦したり、新しいコミュニティに入ったりして友達を作って、交友の輪を広げていきました。色んな国から来た、異なる文化やバックグラウンドを持つ人々と日々生活するのは大変刺激的で多くのことを学びました。

 

今思い返せば、自分の人生の中で、自分の力で0から人間関係を作り上げてきたことってこれが初めてだったなと思います。海外生活が長くなるにつれて日本にいる人達とはだんだん疎遠になっていったものの、自分には自分の複数のコミュニティがカナダにあったので気にしていませんでした。

 

でも逆に言えばそれが僕が持っていたほぼ全てのコネクションでした。

 

しかし、それを僕は数日で全て手放す決断をしなければいけませんでした。

帰国を決めてからは時間が無さすぎて、自分が帰国することすら周りに言えなかったし、バンクーバーは外出禁止要請が出ているため、ほとんどの人に最後に会うことも出来ませんでした。

 

荷物は捨てられても、人間関係、みんなとの思い出とはそう簡単に決別できるものではありません。いくらインターネットが発達して、いつでも連絡がとれるようになったというものの、それでもやっぱり一緒に時間や場所を共有して、思い出を作ることには到底敵いません。

 

今回の帰国にあたって、それが一番辛かったことでした。

 

明日死んでも後悔しない生き方、の本当の意味。

よく「毎日を人生最後の日だと思って行動することが大事」というようなことを耳にしますが、個人的には賛同しません。

 

今日が人生最後の日なら、ジムにも行かないし、勉強もしないし、バイトもしないし、家事もしないでしょう。全ての時間を自分の大切な人達と過ごすことに割り当てます。

だからそれは何か違う。

 

結局僕が行き着いたのは「大事なのは今という時間を大事にして、毎日を出来るだけ一生懸命に生きること」というものでした。

 

今回、僕の留学は思いもしなかった形で突然終わることになりました。

それに対して心残りがないと言えば、もちろんそれは嘘になります。

もっとカナダの生活を満喫したかったし、もっと色んな思い出も作りたかった。

 

しかし今回のコロナウイルスは自分の力ではどうしようも無かったこと。

こういった自分の影響力範囲外のことにクヨクヨしても仕方がありません。

そこを思い切って割り切って二日で帰国できたのは、過去の経験のおかげもありましたが、大きかったのはこの三年半のカナダ留学を振り返って、「自分頑張ったな」「やるべきことはやれたな」と思えたことでした。

 

心残りはあったけれど、後悔はなかった。

 

それは自分なりに毎日一生懸命生きて、色んなことにチャレンジしてこられたからだと思うし、この正規留学というチャンスを与えてもらったことをありがたく感じます。

 

これからも手元にあるチャンスは全部生かして、悔いのない人生にしていきたいです。

 

最後に。

留学ってキラキラしたイメージがするけれど、実際正直かなりしんどい。

交換留学とか短期留学はまだいいけど、正規留学は本当にしんどい。

 

慣れない土地で過ごすのもそう、慣れない言語で生活することも、現地の慣習に馴染まなければいけないこともそう。人種とか宗教とか貧困とか、日本ではあまり馴染みのなかったこととも向き合って生きていかないといけない。

 

そして何より勉強がキツイ。

国内の大学に行くより間違いなくキツイ。

 

それでも正規留学なら日本に帰る大学も無いし、途中で投げ出して高卒のまま日本に帰るなんてこともまあできない。自分に莫大な金も期待もかかっていることも分かっている。

 

そういったえげつないプレッシャーの中で生き抜いた海外大の先輩達と高校生の時にお会いして、「この人ら半端ないな。俺もこうなりたいな。」と思って、国内大学の受験を完璧に捨てて僕は海外に飛び出しました。

 

そしてもうすぐ自分も海外大卒業生として、あの憧れだった先輩方の仲間入りをすることになります。

 

このタイミングで本帰国するのは予想もしていなかったし、もちろん寂しい。

けれど人生のこのステージで海外経験を積めたことは一生の財産だし、この機会を与えてもらったことに本当に感謝しています。

キザったいセリフになるけれど、これからも毎日を大事にして一生懸命生きていこうと思いました。