2020年は「さよなら」の年でした。
こんにちは!
いよいよ2020年も終わりに近づいてきましたね。
皆さんは今年一年を振り返ってみていかがですか?
よく歳をとるほど一年が短くなるといいますが、僕にとっての2020年は非常に長かったです。もはや今年の1月1日に、水着でバンクーバーの極寒の海に飛び込んでいたのが、何年も前かのように感じます笑
タイトルにもある通り、僕にとっての2020年は「さよなら」の年でした。
友達との別れ、大学生活との別れ、カナダとの別れを経験し、そして身内の一人も亡くしました。
きっとこの一年間に、様々な形の別れを経験された方がたくさんいることでしょう。
いきなり訪れた別れ、ある程度は心の準備ができていた別れ。
色んな「さよなら」が交わされた一年だったのではないでしょうか。
自分の力ではコントロールできないことがたくさんあること、大事にしてきたものの儚さを感じたのは僕だけではないはずです。
自分なりの2020年のまとめとして、今年一年間の振り返りを行います。
カナダとの別れ
2020年3月20日。
カナダとの別れは突然訪れました。
この頃のカナダはかなりピリピリしていて、街はロックダウンされてダウンタウンも無人、スーパーに行っても食材やトイレットペーパーといった多くのものが売り切れていました。
まるで映画のような世界だったのを覚えています。
そろそろほんまにやばくなってきたなーと思っていたある日、9.11以来封鎖されたことが無かったアメリカとカナダの陸の国境が予告なく閉ざされました。
このニュースを見て、焦り始めた留学生は僕だけでは無かったでしょう。
それに伴って地方空港も閉鎖されていくのをニュースで見て、「このままだと本当にカナダに閉じ込められてしまうかもしれない」と思って、その三日後の日本に帰るフライトを予約しました。
初めてカナダに来たとき以来、買うことは無かった日本-カナダ間の片道切符。
本当にこれでカナダとはお別れなんだなとすごく寂しくなりました。
しかし、三日間で全ての手続き、引越しの用意をしなければいけなかったので、感傷に浸っている暇は皆無。
友達にも手伝ってもらいながら、持って帰れないものは捨てたり、リサイクルしたりして、なんとか出発前日までに部屋の片付けを終えました。
手助けしてくれた友達には、本当に感謝です。
急に帰国することになったので、その日の夜は最後のバイトのシフトが残っていました。
ちょい高級な日本人オーナーの寿司バーで働いていたのですが、僕が帰国することになったことを知って、最後だからと賄い用にたくさんのお寿司を握って、料理も出してくれました。
「最後やからいっぱい食べや」
と僕の好物をたくさん作ってくれた大将と女将さん。
その料理を食べながら、「もうこれでほんまに最後なんやな」と実感して、ちょっと視界が滲みました。
そして、迎えたカナダでの最終日。
街はロックダウンされていましたが、友達に空港まで送ってもらう道中で、どうしても最後にお別れを言いたかった友達数人を訪ねました。
カナダに来て初めて作った友達、一年生の頃からお世話になった先輩、大学生活を一緒に送った友達。
出身国が違う僕たちが、また同じように密度の濃い時間を一緒に過ごすことはないでしょう。
何かの本で読んだことがあるこのセリフ。
「僕たちがさよならを言うのは、もう二度と会えないからじゃない。もう二度と会えない今の僕たちにさよならを言っているんだ。」
またいつか会えたとしても、オンラインでは繋がっていられたとしても、同じ密度と同じ長さの時間を同空間で共有することはもうない。
そういう意味では、ほとんどの「See you again」は「Goodbye」と同義なのではなかろうか。
帰りの飛行機の中で「See you again」を聴きながら、そんなことを考えていました。
僕は元々、卒業後に日本に帰る予定だったし、それを前提にして就活もしていました。
ただ、心の準備ができていなかったタイミングで辛い決断をしなければいけなかったことが苦しかったのです。
でも、今回の件で予想していないタイミングで大きな決断をする、という決断ができたので、その点ではプラスでした。
とは言うものの、0から自分で作り上げたカナダでのコミュニティとの関わりを、自分の手で断ち切るのはとても辛かったです。
でも結局、なにかを選択するということは、なにかを捨てることと同じなのでしょう。
思い返せば、渡米したときは日本の大学進学の道を捨てたし、カナダの大学に進学したときは、日本で「人生の夏休み」を過ごす道を捨てたし、就活をしたときは卒業後にカナダに残る道を捨てました。
そうやって色んなものを捨てて、切ることによってしか、本当に欲しいものは手に入れられないのではないでしょうか。
大学との別れ
そんなこんなだで日本に帰国した僕。
大学生活最後の学期は、全てオンラインでした。
幸か不幸か僕がとったクラスのレクチャーは全て録画されていたので好きなときに視聴できましたが、ライブの生徒は大変だったようです、というか今も恐らく一部はライブのはず。。
留学先の国にもよりますが、中には完全に昼夜逆転生活を送らなければならず非常に大変そうです。
教授も大変なのは十分に理解していますが、やはり授業の質は下がってしまいました。
自分の問題でもありますが、全然やる気が起きないし、一日中半径2m圏内から動かず、ひたすらパソコンと睨めっこするのは大変です。
かと言って授業料が安くなるわけでもありません。
「こんなんほんまに留学って言えるんかい」とぶつぶつ言いながら、課題をこなしていました。
このようなご時世では、もう後輩に対して気軽に留学を勧めることもできません。
今、留学中のみんなは大変だな、と思いつつもコントロールできないことなので仕方ないですよね。
それでも、卒業が決まったときは嬉しかったです。
高校生のときに英語もあんまり喋れないのにアメリカに行ったときは、一部の先生からは「理解できない、できるわけがない」と言われたし、同級生からは「逃げの留学やな」と言われました。
実際、その通りだったので根に持っているとかではないのですが笑
カナダに来てからも、最初は友達0人からスタートだったし、初めての海外での一人暮らしで、まずはスーパーでの買い物の仕方から学ばなければいけませんでした。
キッコーマンの醤油買ってもなんか味違うし、適当なラーメン屋入って高いラーメン食べたら絶望的にまずいし、わからない、慣れないことだらけ。
下着を買いに行こうとして、Google マップで「underwear shop」で検索して行ってみたら、ストリッパー御用達のごりごりのコスチューム専門店に辿り着いて、「これから4年間ほんまに生きていけんのかな」と思いましたw
もちろん学校の勉強は難しいし、ダウンタウンは大麻臭いし、薬中のルームメイトと揉めるし、ホームレスの方にお金を恵んでと毎日言われるし、とりあえずストレスだらけだったです。
それでもなんとかカレッジから大学に編入できたし、友達も作れたし、そこそこ英語も話せるようになったし、合計で10個バイトもしたし、(少し)恋愛もしたし、格闘技もしたし、就活でも納得できる結果を出せたし、振り返ってみたら完璧とは程遠いものの、「俺、結構頑張ったんちゃう?」と思える留学生活でした。
支えてくれた両親と友達、その他大勢の人には本当に感謝です。
次にまた海外で新たな挑戦をするまで、次は日本で頑張ります!
2021
来年は、いよいよ就職です。
はじめての日本での一人暮らし、はじめての東京(多分w)、ということで楽しみにしています。
たぶん仕事は大変やろうし、また慣れないことも大変なこともたくさんあると思いますが、きっと頑張って生きていけるでしょう。
2020年もお世話になり、ありがとうございました。
良いお年を!