なぜ海大学卒の僕が日系大手に就職するのか。
日本人留学生が皆、一度は頭を悩ますであろう就活。
卒業後は留学先の国に残るのか、日本に帰るのか。
そもそもその国に残れるのか、残っても自分が就きたい仕事につけるのか。
日本に帰るなら日系か外資か、どの業界か、就活はいつどこでするのか。
僕自身も自分自身と向き合って、たくさん考え、迷い、初めての就職活動に海外大生枠で臨みました。そして内々定を頂いた日系不動産デベロッパーで2021年から働くことに決めました。
海外留学生の就活はポピュラーになってきているものの、どうしても海外大生による海外大生用の就活体験記というのはまだまだ少ないように感じます。
今回、僕自身の経験をシェアすることで少しでも皆さんの助けになればと思い、この記事を書くことにしました。
これから就活をする海外大生の皆さんは是非ご一読下さい。
目次
Who am I?
改めましてこんにちは、初めまして。
バンクーバーにあるサイモンフレイザー大学四年生のKoheiです。
専攻はCommunicationで、純日本人。
高校三年時にアメリカに一年交換留学した後に、日本の高校を卒業。
同年秋に渡加し、正規留学を開始しました。
アメリカに行くまでは18年間ずっと日本に住んでいて、両親ともに日本人、英語も得意ではありませんでした。
そんな僕がなぜ留学を決意したのでしょうか?
留学のわけ
僕は日本の私立の中高一貫校に通っていました。
偏差値は全国トップクラスで先輩も同級生も超優秀、そんな中僕は少々日本の受験勉強に嫌気がさしていました。
小さい頃から塾に通い、ずっと周りは似たような境遇の生徒ばかり。
機械のように勉強をこなし、試験の点数が自分の運命を左右する。
エリート集団と言えば聞こえは良いが、受験界という狭い世界で生きることに違和感を感じていました。
先輩達も大半が東大、京大、医学部などに進学していましたが、優秀な彼らを見てもどうしても「こんな風になりたい。」とは思いませんでした。自分がなりたい大学生像は当時はっきりとはありませんでしたが、彼らは僕の憧れの対象ではありませんでした。
そんな中、受験へのモチベーションは上がらず成績も下がる一方。
この時が一番精神的に厳しかったです。
そんな時知ったのが留学フェローシップ という団体。
そこで出会った海外大に正規留学している日本人学生の先輩達とお会いして、圧倒されたのを今も覚えています。
勉強も課外活動も真剣に取り組み、世界中から集まる学生達と切磋琢磨している彼らには、同年代の日本の大学生とは比べ物にならない迫力がありました。
これこそが自分がなりたい大学生像だと確信した僕は、親と学校と相談して、高校三年時にアメリカに一年交換留学すること、在米中にカナダの大学への入学手続きを済ますことにしました。
大学に入ってからは自分が学びたいことを学び、思う存分課外活動、スポーツ、アルバイトに取り組んでいます。
かなり簡略化しましたが、こういった経緯で僕は海外に飛び出しました。
なぜ日本に帰るのか。
月日は流れ、僕も大学三年生を終えようとしていました。
そろそろ卒業後の進路を決めなければなりませんでした。
カナダでは四年制の大学を出た留学生は、卒業後に就労ビザを取ることが出来ます。
なのでカナダに残ることも少し考えましたが、やはり日本に帰ることにしました。
理由は二つありました。
自分の人材としての価値
一つ目は自分の人材としての価値を最大限に発揮できるのは日本だと考えたからです。
カナダに残った場合は、自分は就労ビザ持ちの日本語が話せる外国人。
日本語が話せることがプラスになることはほとんどないし、ビザも卒業後すぐ貰える訳ではない。
さらに現地就職となると、そこにずっと住んできた英語ネイティブの生徒達と戦わなければならない。そして留学生に限らず、初めにつける職はあまり待遇が良くないことがほとんど。
しかし日本に帰ると、自分は英語が話せる日本人です。
海外で高等教育を受けていて、英語が話せる日本人新卒学生というのは日本ではまだまだ貴重ですし、僕には18年間日本で生きてきた中で培った日本人としてのアイデンティティもあります。
そういう訳でカナダでの現地就職では狙えないレベルの会社も、日本で就職するなら射程圏内に入ってきます。それならばカナダで外国人としてキャリアをスタートさせるより、日本に帰って一流企業でしっかり働く経験をした方が良いと判断しました。
母国での新たな挑戦
二つ目は、そろそろ一回日本に帰ろうと思ったからです。
大学卒業時には、アメリカで一年、カナダで四年の計五年を海外で過ごしたことになります。海外に出たからこそ分かる日本の良いところも悪いところもあったし、それらを踏まえても一回自分の母国である日本に帰って新しいことに挑戦しようと思いました。
バンクーバーも居心地が良いのですが、良くも悪くも雰囲気がかなりのんびりしています。これ以上ここでダラダラするよりかは、日本の首都である東京という新しい環境で働く方が自分は成長できるなと感じたからです。
もう一つの理由は、母国でもう一度日本人らしさ、自分らしさ、という概念と向き合いたいと考えたからです。
日本人に限らずですが、海外生活が長い人はどこか中途半端な感じになってしまう感が否めません。母国のアイデンティティは捨てきれず、かといって現地のカルチャーには完璧には迎合しきれず。
その歪みが、自身のアイデンティティ、そして生き方の軸の揺らぎに繋がっているように感じる場合も多々あります。
僕も死ぬまで日本にずっといようと考えている訳ではないですが、ここいらで一旦帰国して力をつけて次のステップに備えようと思い、日本に帰ることにしました。
就活の軸
日本に帰ると決めたので、次は就活です。
しかし、いきなりよっしゃ就活や!と言っても、自分がどの業界のどの会社で何をしたいのかはさっぱり分かりませんでした。
そこでまずは自分の就活の軸を決めることにしました。
そして自身のミッションステイトメントを「繋がりで人を強く、幸せにする」というものに決めました。
僕はカナダにきた時は家族も友達もおらず、人生で初めて一人ぼっちになりました。
周りに日本人はほとんどいなかったし、他の留学生達は出身が同じ者同士で固まって彼らの母国語ばかりを話す。
言葉も違えば、文化も違う。そんな環境で0から人間関係を構築していく経験を通して、日本にいた時は煩わしいとさえ感じていた人と人との繋がりの大切さを再認識しました。その繋がりのおかげで大変なことも乗り越えてこられたし、人と人が助けあって生きていくことの大切さに気づきました。
これは受験という言わば蹴落とし合いの世界で、ずっと生きてきた僕に欠けていた意識でした。
そして「繋がりで人を強く、幸せにする」ことこそが自分が自身の人生においてしたいことだと考え、それを自身のミッションステイト、就活の軸としました。
業界選び
さて軸も決めたところで次は業界選びです。
父が昔、海外で不動産業をしていたこと、そして僕自身もバンクーバーで不動産仲介会社でアルバイトをしていたこともあり、第一希望は不動産業界と決めていました。
しかし、自分は社会人経験もないし、いきなり業界を一つに絞り切るのも良くないと考え、自分の軸に合いそうなところは業界をまたいで色々受けました。
また不動産を扱える可能性のある銀行や商社も受けました。
皆さんも是非色んな業界の説明会や選考会に足を運ぶことを強くお勧めします。
学生としての経験値やオンラインの情報のみで、意思決定をするのは危険です。
実際にその業界や企業の方々と話すことで初めて見えてくるものというのは確実にあります。
例えばネットでは三菱はお堅くて、三井は体育会系、などと書かれていることもありますが、僕は個人的にはそう感じませんでした。
さらに同じ三菱、三井のグループ内でも微妙に各会社に漂う雰囲気というのは違っています。これは自分で感じて確かめるしかありません。
同じことに対しても感じ方というのは人それぞれなので、自身の直感というものも是非大事にして下さい。
なぜ日系大手なのか
なぜ海外の大学を出て、日系の大手というドメスティックな選択肢を選ぶのか、と疑問に思われる方もいると思います。
まず外資ではなく日系にしたのは、日本の大手不動産デベロッパーは日系のみだったからです。なので外資はほとんど受けませんでした。
大手を選ぶ理由は、やはり大手でしか出来ない経験をしたいと考えたからです。街作りというのは圧倒的資金力と歴史を持った組織の中でしか出来ないことだし、成長したいなら周りに優秀な人々がいる環境に身を置かなければならないと考えたからです。
ベンチャーに行ったり、起業したり、NPOで働いたりするのは後からでも出来るが、中途で日系のトップの方の大手企業に入るのはかなり至難の技だとも考えました。
あとは現実的な話ですが、大手とその他では待遇の差が圧倒的です。ここは本当によく考えた方がいいと思います。さらに将来転職するにしても元〇〇の、という肩書きが付いてきます。
もちろん大手が安泰だという時代ではもうありません。
ただ、「楽しそう」「カッコ良さそう」という理由のみでベンチャー等に行くのはリスク以外の何者でもないと考えます。
とはいえ、海外大卒の生徒が日系の会社でミスマッチなく働いていけるか、というのは留学生の多くが持つ疑問だと思います。
僕の場合は様々な年次の内々定先の社員さんとお話しする中で、なんとなくですが自分でも上手くやっていける感じがしました。上の年次の方々、恐らく自分の上司になるような方とも違和感なくコミュニケーションをとることが出来たのも大きかったです。
他の会社では一次面接を担当して下さった比較的年が近い社員さんとは相性良く感じても、二次や三次でお会いした上の年次の方々と合わないなと感じることが多々ありました。
前章で実際に企業の人と話すのが大事だと書いたのは、このように僕自身が対面でコミュニケーションをとる大切さを強く感じたからです。
実は僕が就活を始めた当初の第一志望先は入社予定の会社ではなく、そのライバル会社でした。
理由は先輩に君はそのライバル会社っぽい雰囲気だねと言われたことと、自身もブラジリアン柔術をしていて体育会系っぽいのでカルチャーに合うのかなと思ったからです。我ながらかなり曖昧な理由ですが、周りにそもそも日本人の先輩がそんなにいなかったし、企業説明会等に参加する機会も無かったのでかなり情報不足でした。
そして内々定先の会社の方が選考が先だったので、同じ不動産デベロッパーだし受けておこうかな、という気持ちで臨みました。しかし実際に人事の方々と選考やディナーを通して話をするうちに、その会社、そこで働く人々に強く惹かれるようになりました。
言語化するのが難しいところではありますが、最終面接を受ける頃には「僕はきっとここで仕事をすることになるんだろうな」と感じました。どんなけ自信過剰やねん、と思われるかもしれませんが、自分の軸 / ミッションステイトメントを決めて嘘をつかずに就活していたら、こういう風に感じられる企業に出会えるはずです。
ちなみに、そのライバル会社の選考もボストンで受けたのですが年次の高い社員さんと相性が合わず二次面接で落ちました。実際、説明会でお会いした他の社員さんの話を聞いても、自分が彼らと仕事をしている様を想像しづらかったのを覚えています。
自分が合わないなと思った場合は、相手も同じように感じている場合がほとんどです。
こういう自分の直感、何となく肌で感じることは絶対大事にして覚えておいた方が良いです。最終的に内々定をもらっている会社の中から一社を選ばなければならない時などに必ず役立ちます。
話を戻して内々定先の会社を選んだもう一つの理由は、企業の文化もいい意味で日系大手らしくなくていいなと思ったからです。
オフィスは公園をコンセプトにした新しいものでグループアドレス制、副業も解禁、フレックスに加えて、リモートワークも可能。さらに仮眠室もあり、社食は朝ごはん無料、夜にはバーになりお酒が飲めるなどいわゆる僕らが思い描く日系のドメスティックな大手とは対極にあるように感じました。
さらに僕は出来るだけ早いうちに海外で仕事をしたいと思っていました。
それならば海外志向が高い学生が集まる商社などより、国内の事業に携わりたい生徒の割合がまだ多い不動産デベロッパーの方が競争率が低いはずだと予想を立てました。
最後の決め手は、やはり人でした。
僕は人事部の方々も入れた社員さん計6名と対面、またSkype等でお話しさせて頂きました。年次は様々でしたが、どの方もとても優秀で素敵な方々だと感じ、この人達と一緒にお仕事したいと思いました。
またメールの返信も他社と比べて、非常に迅速かつ丁寧でした。
以上のような理由で入社することに決めました。
留学生の皆さんにお伝えしたいこと。
海外から就活することは簡単ではありません。
国内と比べたら得られる情報量も少ないです。
しかしそれは逆に武器にもなり得ます。
なぜなら情報が少ないがゆえに素の自分で勝負が出来るからです。
国内生と同じように就活系ブログやサイトを見て、その会社を攻略しようとして、無難なことばかり言って自分を出し切れずに不本意な結果に終わる海外生は少なくないです。
国内生には国内生の、海外生には海外生の就活があります!
どっちの方が上とかいう低次元な話ではありません。
しかしせっかく苦労して海外留学しているのに国内生と同じような就活をしようとする必要はありません。むしろするべきではありません。企業側からしても、高額な費用をかけてわざわざ海外にまできて生徒を採用するのは国内では出会えない人材を採用する為です。
海外に正規留学している生徒は大抵良い意味で変態です。
その変態さを自分の持ち味にして、いかに自分がユニークで有用な人材であるかをアピールして下さい。
それで落ちる企業には元々縁が無かったというだけの話です。
嘘で固めた自分で内々定をゲットしても、働き出してから上手くいかないのは明白ですよね。
学校のこともこなしながら就活するのは大変ですが、しっかり自己分析、業界分析等を行って、悔いなく就活を終えられように全てのことをやりきって下さい!
Good luck!
まだボスキャリで消耗してるの? Connect Job US 2019 参戦記
こんにちは。
カナダ在住、サイモンフレイザー大学四年のKoheiです。
もう四年生ということもあり、卒業後の進路について真剣に考え出し、日本に帰って働くことにしました。そして今年の夏から就活を開始して、今冬一時帰国時に国内で最終面接を受けて内々定を頂き、無事就活を終えました。
まだまだ正規留学生の就活はポピュラーでは無いですし、日本人の先輩が沢山いる大学で無いと情報もあまり得られないのが実情です。インターネットでの情報収集も限界があります。
僕の大学はバンクーバーでは2番目に大きい大学ですが、日本人の先輩もかなり少なくて、さらにそこから僕が狙っていたような日系企業の就活をした先輩はほぼ皆無なので中々しんどかったです。
僕の大まかな就活スケジュールは、
8月:企業・業界研究、そして履歴書作成開始。
9月:キャンパスリクルーティングにくる会社の面接を受け始める。企業別のES作成、Webテスト対策を開始。
10月:Connect Job US に参加。
11月:ボスキャリ参加。
12月:国内最終面接。第一志望先から内々定を頂き、就活終了。
といった感じでした。
ちなみに僕は2020年の秋卒業なので、2021年4月入社予定です。
国内選考に比べたら4ヶ月という短期間で終わるからいいなと思われるかもしれませんが、膨大な課題をこなしながら、あっちこっちに飛び回るのは肉体的にも精神的にも中々キツかったです。
ボスキャリに関しては他に記事を書いたので、そちらをご覧下さい。
今回の記事ではConnect Job US (以下CJUS) について書いていきます。
それでは目次!
目次
Connect Job USとは?
Connect Job USは北米の大学・大学院に留学中/留学経験がある (交換留学を含む) 生徒を対象とした完全招待制のジョブフェアで、2019年は10月12日、13日の二日間で、アメリカのサンフランシスコで開催されました。
詳細はここで説明するより、WEBサイトを見た方が早いので公式のURLを貼っておきます。
Connect Job US の詳しい情報はこちら↓
URL : https://job.connectiu.com/en/plus/fair/400009/details/
これとは別にヨーロッパ地域に留学中の生徒を対象としたConnect Job Euroというものもあります。日程、参加企業がUSのものとは異なります。
Connect Job Euro の詳しい情報はこちら↓
URL : https://job.connectiu.com/ja/plus/fair/4000011/details/
どんな企業が来るの?
ボスキャリに比べたら、参加企業は少ないですが、優良企業が結構来ます。
就活生に人気な企業だと、伊藤忠、三菱地所、MUFG、Deloitte、Softbank、Segaなどが来ます。ボスキャリと同じで、CJUS中に選考が完結し内々定を貰える会社もあれば、ボスキャリや国内で次の面接や最終面接がある場合もあります。
僕はCJUSでの選考のみで内定を頂いたのが1社、ボストンで引き続き選考を受けて内定を頂いたのが1社、国内で最終面接を受けて内々定を頂いたのが1社でした。
色んな業界の企業が来るし、面接の前に3社まで会社の説明会に行くことが出来ます。
また日程的にボスキャリの前に開催されるので、ボスキャリのみ参加の生徒より早く選考を進められるチャンスがあります。
参加するメリットは?
ボスキャリの方が参加人数も参加企業も多いならボスキャリだけでいいやん、と思われる方もいるかもしれませんが、そんなことないです!
理由は4つ!
1. CJUSは完全招待制
ボスキャリは基本的に誰でも来られるので年々参加学生の数が増えて来ていますが、CJUSは完全招待です。
企業との面接の前に、まずConnect Jobの社員さんとの面接があり、そこでCJUSに参加できるかどうかが決まります。さらに距離に応じてTravel Scholarshipが全員に支給されます。超太っ腹!
宿泊代、食事代などは自分持ちになりますが、フライト代はカバーできます。
これは学生にとってはかなりありがたいはず。
他に完全招待制であることのメリットは会場がボスキャリのようにごったがえすことがないので、よりリラックスして面接に臨めます。
僕はCJUSの後にボスキャリにいったのですが、人が多すぎて少し嫌になりました笑
なので僕のようにこれが初めてのジョブフェアだ、という人でも比較的安心して参加出来るかと思います。
2. ボスキャリに来ない企業も来る!
CJUSは規模こそボスキャリより小さいですが、一番のメリットはボスキャリに来ない企業の選考も受けられることです。
それぞれの企業が独自に大学を周ってキャンパスリクルートをすることはありますが、自分の大学の所在地によっては参加できない場合もあります。
海外生なので国内で就活するのも難しいのですが、そんな時でもCJUSとボスキャリの両方に参加することで大抵の有名企業は一通り受けられると思います。
CJUSに来てボスキャリに来なかった企業だと、2019年では三菱地所、伊藤忠、等がそうでした。両者とも人気企業なので、これらの会社の選考を受けられるだけでもCJUSに来る価値はあると思います。
3. Connect Jobのスタッフがサポートしてくれる!
CJUSに参加すると生徒一人一人にConnect Jobのスタッフがサポーターとしてついてくれます。CJUS終了後でも、ボスキャリや国内での選考のサポートをして下さいますし、情報量で劣る海外大生としては大変ありがたいです。
僕自身も国内で行われた最終面接前などにアドバイスをもらったり、内定を頂いた企業とのコミュニケーションをとってもらったりしていました。
4. まだ認知度があまり高くない
Connect jobさん、ごめんなさい。
でもCJUSはボスキャリに比べたら、まだ知名度はそんなに高くないです。
なので有名な会社の人事の方々とも比較的近い距離で話せるし、ボスキャリで有名企業を受けるよりCJUSで受けた方がリラックスして受けられます。
CJUSだけに来ている会社の人事の方に、何故ボスキャリは来なくてCJUSだけなのか聞くと「CJUSの方がアットホームな雰囲気で、生徒とじっくり向き合えるから。」とおっしゃっていました。
確かにボスキャリの選考は大量の生徒をバサバサさばいていく感じなので、アットホームさは皆無でした。その点CJUSは企業と生徒一人一人の距離が近いのかなと思います。
CJUSで受ける方がボスキャリでの選考より勝率が高いかと言えば、有名企業だとCJUSではごく少数しか取らないので何とも言えないところですが、受けてみる価値は十分にあると思います。
もし仮にCJUSで結果を出せなかったとしても、ボスキャリの前に面接の場数を踏むことが出来るし、CJUSで一社からでも内定をもらえたらボスキャリにもより余裕を持って行けると思います。
最後に
留学生の就活はとりあえずボスキャリ、というのがやはり大多数の共通見解だと思います。
ブログを見てもボスキャリ関係のものは腐るほどあるけれど、CJUSのものは僕は見つけられませんでした。
でも僕はCJUSはとても良いイベントだし、北米の留学生で就活をする生徒はもっと参加するべきだと思います。僕自身は内定を頂いた会社は全てCJUSで選考を受けた会社だったし、そのうちの一つの会社に入社を決定したのでCJUSには本当に行って良かったなと思います。
就活を通して色んな企業の方とお会いして企業について学ぶことで、自分の志望先も変わるかもしれないし実際僕も入社を決めた会社は、始めは第一志望ではありませんでした。ネットの情報だけでは感じられない部分というのも色々あるので、是非色んな企業の説明会に行って、色んな人と話してみて下さい。
あとボスキャリも良い機会だとは思いますが、最近は参加生徒の数もかなり増えて、無駄に倍率が上がってきているのも気になります。そうなると企業側も生徒側も、どうしても選考プロセスが雑になりがちです。企業側は大量の生徒を裁くために、面接経験のない普通の社員を面接官にしたり、生徒側は大量の会社の選考を受けるために志望動機を使い回し、結果自分の就活の軸を失ったり。
その点CJUSは、良くも悪くも参加企業の数も参加生徒の数も少ないので、落ち着いて集中して就活に取り組めます。僕にはそちらの方が向いていました。
なので僕のオススメはCJUSとボスキャリの両方に行くことです!
この二つのジョブフェアで受けられない会社はほとんど無いはずだし、正規留学生ならここで決めておかないとどの道、他にこれ以上良い選択肢は残っていないと思います。
海外からの就活、慣れないことも沢山あって大変だと思いますが、是非悔いの無いものにして下さい。
Good luck!
(2020/12追記)
就活本をkindleで出版しました!
海外大卒生として日系企業の就活を経験して感じたこと、学んだこと等をまとめています。
就活生全員の役に立つような内容になっているので、就活を控えている学生さんは是非読んでみてください!
ボスキャリ2019:俺、スーツのズボン破いたってよ
ボスキャリ2019、初参戦してきました。
サンフランシスコでConnect jobさんのジョブフェアに行ったのが最初だったので、人生2回目のジョブフェアでした。
先に結果をお伝えすると、
内定:某財閥系銀行
選考が進んだところ:某総合商社、某不動産デベロッパー
サイレントお祈り:某不動産デベロッパー
サイレントお祈り(合否の連絡がないまま落とされること)されたところは、僕も含めて他の二強のデベロッパー受けている人はだいたい落ちていました。。という言い訳。
まあいいや。
僕はサンフランシスコで、メディア系の会社から内定頂いていたのと、数社選考が進んでいるところがあったのでボストンではwalk-inなどはせずに、絞り込んだ4社だけ受けました。
また第一志望の不動産デベはもうサンフランシスコで二次面接まで受けていたので、正直ボスキャリにに対するモチベは高くなかったのですが、そこの海外採用人数は超少数なので他のところも受けておこうと思って行きました。
ちなみに今冬、一時帰国時にその会社の最終面接を東京で受けて内定を頂き、そこに就職することにしました。
僕のスペックですが、
1. カナダの大学に正規留学中の四年生
2. 純ジャパ(生まれも育ちも日本)
3. 高校は国内の進学校
4. ボスキャリでスーツのズボンを破いた唯一のレジェンド(多分)
てな感じです。
それでは僕の体験談をどうぞ!
目次
0日目 (木曜):そして戦いは始まった
「ボスキャリは実質、金と土の二日である」というのはあんまり正しくありません。
僕の場合は木曜から、デベの説明会 → そのまま一次面接 → 銀行の二次面接 → サンフラで内定貰った会社のディナー、と結構詰まってました。
事前応募とかするガチ勢は、必ず水曜日の夜には着いておきましょう!
ボスキャリが始まる前日の木曜日から事前通過者を対象に、別の会場で説明会や選考会が始まっている場合が多いです。特にそこらへんの人気企業はWalk-in受け付けていない or 一応受け付けているけど、基本的には面接組んで貰えない場合が多いので、一流企業を受けたい人はしっかり事前応募しておいた方が絶対いいです。
業界分析もロクにせず、当日walk inで適当にレジュメばら撒いて、どっかから内定もらえればいいやというのは、甘すぎます。数年前に比べたら、ボスキャリの知名度もかなり上がり、来る生徒の数もかなり増えました。
数年前に書かれたブログの情報はあまりあてにしないほうが賢明です。
あと会場から歩ける距離に泊まっている人でも、しっかりどうやって行くのか確認して、余裕を持って行動しましょう。
僕はGoogle map様の言うことを聞かず、「こっちの方が近そうや。」と変な道に入っていって引き戻る羽目になり、銀行の面接に10分ぐらい遅れました。皆さんは慣れない土地では大人しくGoogle様の言うことを聞きましょう笑
ちなみに面接に遅れていった時でも、慌てず落ち着いて堂々と参上しましょう。ここで汗だくでゼーゼーいいながら駆け込んでくるような生徒を企業は取りたくないと思います。焦る気持ちは分かりますが、いくら焦っても遅れている事実は変わりません。落ち着いた様子で真摯に「遅れてすみません。」と言えば大抵問題ないはずです。
でも遅れて行くのはやはり失礼なので余裕を持って行動しましょう。
デベの一次、銀行の二次の結果はディナーに行くときのUber待っているときにちょうど電話かかってきて、次の日に面接を組んで貰いました。
ここで一つ注意!
正規留学生でアメリカやカナダからくる生徒は携帯のカレンダーに入れた面接の時間をしっかり再チェックしましょう!
僕はバンクーバーから来たので時差が三時間だったのですが、バンクーバーにいた時にiPhoneのカレンダーに入れた面接のスケジュールもそれで時差に合わせて勝手に調節されていました。
それに気づかず面接をトリプルブッキングしてしまい、後から再調整してもらわなければいけませんでした。
そんなアホなこと誰がすんねん、と言われればそれまでなのですが僕の他にも同じことをして会場を走っている人がいたので皆さんも気を付けて下さい。
さて、ボスキャリ名物のディナー。
てっきり内定者ディナーかと思いきや、そういう訳でもなかったことを終わってから知るという鈍さ。。
ちなみにディナーは高級なシーフードレストランの地下の一室を借りて下さっていて、高級ワイン+フルコースを堪能しました。普段水しか飲んでいない僕が高級ワインの味の素晴らしさなど分かるはずもなく、とりあえず美味しかったことだけは覚えていますw
頑張ったら美味しいものにありつけるので皆さんもディナー獲得、頑張って下さい!
ちなみに少人数のディナーの場合は、座る場所があらかじめ決まっている場合が多くて、偉い人の近くに座れる生徒は内定貰ってる or いい感じと思われてる可能性が高いです。逆に座る席が自由な場合は、顔見知りの面接官か、何と無く上の方の役職っぽい人の近くに座れるといいかもしれないです。
せっかくの機会なのでお料理を楽しみつつ、しっかり社員さんとのコミュニケーションも図りましょう。普段はOB、OG訪問でもしないと会えないはずなので貴重な機会ですよ。
あと選考中のディナーであれば、出来るだけアピールしたくなる気持ちは分かりますが、一人だけ延々と話し続けるのはやめましょう。特に5人以下の少人数の席でそれをやると周りの人も話せなくなり最悪です。協調性が無いと見られても仕方ないでしょう。
基本は相手の話を聞きながら、少し自分の話も交える、ぐらいで丁度いいと思います。
1日目 (金曜日):正念場。
金曜日は、前日に選考を進めた銀行(三次)、デベ(二次)、の他に、違うデベ(一次)、商社(二次)があったのでこの日が一番キツかったです。他にも事前応募したところがありましたが、そんなに志望度が高くなかったので、他の面接に集中するためにサイレント辞退しました。
1日に何社も詰め込んでしまう人がいますが、出来るだけ止めといた方がいいと思います。恐らくマックスで4社ぐらい。
面接って自分が思っているより疲れるし、志望度が高いところにフレッシュな状態で臨のが一番ベストだと思います。特にケース面接等で脳みそをフル回転させた後に、他の面接がすぐあったりしたらかなりキツイです。
ちなみに某総合商社の二次面接はケースだということを、情弱の僕は知らずに何の準備もせずに突撃。
カーテンを開けた瞬間、視界に入ってくるペンと紙。
「しもた。」
しかし時すでに遅し。
簡単な自己紹介のあとに、すぐにケース開始。
問題を読み上げられたあと、3分で考えて、3分でプレゼン。そこから20分ほど二人の面接官から質問と掘り下げの嵐。
もはや何を喋ったかあんまり覚えていないけれど、とりあえず面接官二人は納得してくれた模様。
中学受験の時以来、約5年ぶりに脳をフル回転させた30分間でした。
自分が受けたい会社の面接受けたことがある先輩がいたら、ちゃんと話を聞いておいたら僕のような目に合わずに済みます。ちなみに僕の大学は日本人少なくて、その商社を受けた人はどの道いませんでした。
そのあとはデベの二次面接。
ボストンでは、それが最終なので割と偉い感じの人が登場。
メモを取るのがパソコンでは無く手書きのため、すごく遅いし謎の間が生まれる。
「紙にメモする間、沈黙が生まれるけど気にしないでね。」
「いや、そりゃするわ!」
正直こんな上司の下で働きたくないな、と思ってブースを去りました。
面接は企業が学生を見る場であると共に、僕たち学生が企業を見る場でもあります。正規留学生はOB訪問する機会もあんまりないと思うので面接でもディナーでもしっかり社員さん達のことを観察して自分がこの人たちと上手く働いていけそうか見ておきましょう。
そのあとはもう一社のデベの一次面接。
15分だけだったし、サイレントされたし省略。
そのあとは銀行の三次面接。
三次面接が終わったあと、その場で「次の選考に進んで欲しい」と言われたので別室で待機。財閥系銀行は面接が多いのが特徴で、多い人は10回ぐらい面接があったそうな。
そんな訳でポヨンとしていたら、まさかのこの四次面接が最終面接だと知らされる俺氏。「まあいつも通りやれば大丈夫や」と言い聞かせ、包み隠さず本音トークをして感触もかなり良い。
「合格の場合のみ午後7時までにお電話差し上げます」と言われた後で、「後で連絡するね」と帰り際に言われガッツポーズ。
そうしてルンルン気分で商社のディナーに参加。
「あー、いつ電話くるかな。社員さんと話してる時に電話来たら気まずいな」と呑気に考えながら数時間が経過。
そして時計の針は7時を超える。
電話がこない...!
いつ着信がくるかとソワソワするものの待つ以外に術なし。
これはボスキャリに参加する人の多くが味わうものです。
覚悟しときましょう。
「いや、おかしい。あんなけ好感触やって連絡するね、まで言われて落ちているはずがない。でも電話は来ない。。これはおかしい。」
結局その夜はずっと電話が来ずに意気消沈。
他社はボストンでは内定を貰えないことが分かっていたので尚更辛い。
「ああ、これでボストンでは内定0か」
サンフラで貰った内定の返事は、ボスキャリが終わったらすぐにしなければならなかったので、何とかボストンで内定が欲しかった。
午後10時を過ぎる。やっぱり電話は来ない。
それでも絶対受かっているという確信は消えない。
「よし、明日の朝に乗り込みに行こう」
元気がないと戦はできぬ。
そして僕はさっさとベットに入り、翌日の戦に備えることにした。
2日目 (土曜日):想いは届き、パンツは破れる
いわゆるボスキャリ実質最終日。
ここが山場、生徒たちもやや殺気立っている。
その中、既に全ての面接を終えている僕は静かにネクタイを固く締め、気合いを入れて会場入りする。もちろんWalk-inをする気などサラサラ無い。
我が標的はただ一つ。
しかし、心の迷いは消し去れない。
電話が来たら合格。来なかったら不合格。
小学生でも分かる条件を俺は無視して、これから俺は財閥系銀行のブースに押しかけようとしている。正気の沙汰ではない。
しかし、ここでモヤモヤとしたまま引き下がる訳にはいかない。
不合格ならそれはそれで踏ん切りがつくではないか。
その時はお礼を行って潔く立ち去ろう。
「おはようございます。昨日最終面接を受けた者で結果の確認をさせて頂きたく参りました。」
動揺を隠せない受付の社員さん。
「少々あちらでお待ちください。」
案内されたのは壁際のベンチ。
もう面接に来たわけでは無いので、待合室には入れて貰えない。
急に蚊帳の外に閉め出せれたようで少し悲しい。
ややびっくりした表情で部屋の中に入っていく社員さん。
ざわめく室内。
「おい、昨日のあいつ乗り込んで来たで。どないする?」などという会話が繰り広げられていたのかもしれない。Who knows.
待つこと数分、上の社員さんが出てきてくれた。
「昨日は電話出来ず申し訳ありませんでした。実は迷っておりましたが、合格を差し上げます。今晩のディナーにも是非ご参加下さい。」
ここでは会話の全文は書けないが、僕の卒業予定のタイミングが今年採用か来年採用か微妙だったようだ。
「まじか。」
そもそも僕の専攻はビジネスでもファイナンスでも無く、コミュニケーションというよく分からない分野だ。
スカウトを貰うまで銀行を受ける気はなかったし、そのこともちゃんと伝えた。
別に大学もレベルが高いところでは無いし、「御社が第一志望です!!」などと大ボラこいたわけでも無い。
しかし、受かった。
自分から押しかけときながら、まさかの展開にびっくりしてしまった。
「承知しました。それでは今晩伺います。」
そして僕は少し他の社員さん達と話したあと、興奮冷めぬままブースを去った。
さあ、二日目の午前中にして既に全ての面接を終えて暇になった。
ここで自分のエアビーに帰るのも勿体無いし観光でもしよう、ということで他にも時間があった日本人達とボストン観光へ。
同じ北米でもやっぱりカナダとアメリカは違っていて、高校の頃少しいたミシガンのことを思い出しました。
この後会場に戻って、銀行の方々と合流してレストランに行きました。
ちなみにここのディナーが一番美味しかったです。
社員さん達の話によると、ここら辺の良いレストランはボスキャリにくる企業が沢山くるから、一年前から予約をとったりしないと抑えられないんだとか。
その日のディナーに呼ばれたのは僕も入れた三人で、社員と学生が約2:1という珍しい感じでした。ちなみに内定出る前のディナーは比較的生徒の人数が多く、内定が出た後だとかなり少人数になります。
コース料理を堪能した後、社員さん達が泊まっているホテルまでタクシーで送ってもらったのですが、その時お尻に何か引っかかる感じが。
特に気にせず、ホテルについた後、他の生徒さんと自分達の宿泊先に帰るためのUberを待っていました。
そしてUberが来て、お礼を言って車に乗り込んだ後、窓の外を見たら社員さん達が何やらドギマギしている様子。車に乗る時に女の子の生徒さんの為にドアを開けてあげたのを見てびっくりしはってると勝手に勘違いし、「これが北米仕込みのレディーファーストやで。」などとみみっちいことを考えていました。
しかし、
自分のエアビーに着いた時、なんかお尻がスースーするなと思ってズボンを触ったらなぜか自分の太ももに触れる...
おかしいなと思って見てみたらスーツのズボンが上から股の方まで破れていました。
もともとこのスーツは一年生の時に買ったものでしたが、筋トレと格闘技のおかげで体がゴツくなった僕は二度仕立て直しをお願いしていました。それで生地にゆとりがなく、車高が低めのタクシーに乗った時に引き裂いてしまったようです。
まあ、最終日でラッキーだったなと言うことでちゃんちゃん。
3日目 (日曜日):社員訪問と観光
三日目も、もちろん面接等はないのですが、サンフランシスコで受けた会社の駐在員さんが会って下さると言うことでハーバードに行ってきました。
ちなみにここの会社から内定を頂き、就職することにしました。
ボスキャリ以前に違う場所で就活をする留学生は、選考が進んでいる会社でボスキャリにこないところには積極的にボスキャリに行く事を伝えてもいいかもしれません。
大きい会社であれば大抵ライバル会社に貴重な人材を取られたくないと思うものなので、ボストンで選考がなくてもディナーに誘って頂いたり、現地の駐在員さんを紹介して頂けたりします。
駐在員さんは物腰の柔らかい方で、さらにハーバードのMBAも取得し現地の不動産投資会社で働いっていらっしゃる超キレもの。やっぱりトップの会社で働いている方は違うな、こういうところで働きたいなと改めて思いました。
そして午後にはバンクーバーに戻る為に空港へ。
天候の関係でバンクーバーには予定より一日遅く着きましたが、無事に帰れました。
最後に
この記事の読者さんの中には国内生の方も、交換留学生の方も、正規留学生の方もいると思います。自分のバックグラウンドに合わせて、就活のやり方も、ボスキャリへの臨み方も異なってくると思います。
ただ共通して言えるのは、ボスキャリは数日で内定が貰える幻のラッキーイベントではありません。どこの企業でも間違いなく正規留学生は優遇されるし、英語力のみを武器にして乗り込んでもどうにもならないと思います。
企業側もボストンまで高いお金を出して、国内で採用できるような人材はとりません。
人気の有名企業ならば英語は話せて当たり前、それプラス何が出来るの?という世界です。
僕個人の経験なので参考程度にして欲しいのですが、ボスキャリでいわゆる就職偏差値トップの方の企業から内定をもらえた国内大学出身の人は本当に一握りしか知りません。そんな彼らも子供の頃に海外に住んでいた、交換留学をしていた+特別光る何かがあったなどいわゆる特別な人材でした。
ボスキャリは誰でも来れることになっていますが、行ってちゃんと戦える生徒は全体の3割もいない気がします。高いお金を払ってボストンまで来て残念な結果に終わってしまうなら、国内選考で自分の行きたい会社をしっかり目指す方が勝率も上がるはずです。
また正規留学生でも、準備を全くしていない or 留学経験以外に光るものが無い場合は、交換留学中の優秀な国内大学生達にバンバン席を取られます。彼らの方が就活に対する情報を持っているし、しっかり準備している印象があります。
まずは本当に自分はボスキャリに行く必要があるのか、行ってモンスター人材達と対等に戦えるのか、を考えて決めてみて下さい。
それでは2020のボスキャリに参加される皆さん、頑張って下さい!
「結局ボスキャリかよ」就活海外大生の独白
こんにちは。
もう9月ですね。気付いたら向日葵も俯いちゃって秋が来たなと思う今日この頃です。
さて、僕も今学期から4年生になりまして就活真っ最中です。
カナダに残ることも考えたのですが結局日本に帰ります。
そんな中、昨日後輩のRちゃんとご飯を食べていた時に色んな話をして、自分の頭の中が結構すっきりしました。このRちゃんはまだ二年生になったばかりなのに、卒業後のことをしっかり考えているとても賢い人です。
今日はそんな彼女と話して思い出したこと、気付いたことなどを中心にシェアします。
就活や学生生活で悩んでいる大学生の皆さんは是非ご一読下さい。
それでも日本に帰る
カナダでは大学卒業後に就労ビザをとることが出来ます。
これはアメリカやイギリスと比べてかなり留学生に優しいです。
僕もカナダで残って働くことをちょっと考えたのですが、やはり帰国することにしました。
理由は3つあります。
- やっぱり俺は日本人
- カナダに残るリスク
- グローバルで働きたい
やっぱり俺は日本人
僕は18年間日本で生まれ育った生粋の日本人です。
今はカナダで大学生をやっていますが4,5年前までは英語もあんまり話せなくて、現地生まれの日系人や帰国子女達には英語力でコンプレックスを感じていました。
しかしこちらで過ごしてるうちに「漢字を書ける」「尊敬語、謙譲語、丁寧語を使いこなせる」「日本の文化や風習に馴染みがある」など彼らにはなくて自分にはある強みもあることに気付きました。
両親共に日本人の日本人でも海外生活が長いと、漢字の読み書きが出来ない、敬語を使いこなせない、日本独特の習慣に馴染みが無い、という人は実は結構います。
なのでそんな日本人の僕が自分の力を最大限に発揮して成長できる場所は、やはり日本でビジネスをしている企業だと思いました。
カナダで「英語が上手い外国人」として働くより、日本で「英語が上手い日本人」としてキャリアをスタートさせた方がより多くのチャンスを掴めると思い、帰国することにしました。
カナダに残るリスク
カナダで卒業後に働こうと思うとまず就労ビザにアプライしないといけません。
これの取得に約6ケ月ほどかかり、この間はアルバイトなども出来ません。
まずこれが嫌だなと思いました。
散々親に金銭面でも負担を強いて来たので、卒業後の半年間ニートで過ごすことは申し訳なさすぎて出来ないです。
さらにこの就労ビザを取得からといって絶対に職にありつけるわけでもなく、自力で他のカナダ人とポストを争う必要があります。個人的な経験を元にした意見ですが、正直ここで満足する職にありつける可能性は高くないです。
ここから数年、その会社で働いた後に永住権のサポートをしてもらってPRの申請をします。このPRも必ず通るわけでは無く、受理されなかった場合は帰国するしか無いです。
もちろんこれらを全てパスして成功されている方もいらっしゃると思いますが、僕はそこまでしてカナダに残りたいと思っているわけでもなく、これらのリスクに見合うリターンが無いと感じたので帰国することにしました。
グローバルで働きたい
就活生あるあるに漏れず僕も「グローバルで働きたい」と思っています笑
じゃあカナダに残れよ、となるのですがそもそも「グローバル」って何でしょうか?
ちなみに僕は「グローバルで働きたい」を「世界各地で働きながら経験を積みたい」という意味で使っています。
カナダに残ってカナダの会社から海外派遣させてもらうというのはかなりハードルが高いですし、それが出来ない場合ずっとカナダで働くことになります。
個々人の定義にもよりますが、「海外で働く」ということは必ずしも「グローバルで働く」ということでは無いのです。
カナダでの就労経験を生かして他の国の企業に転職をする道もある、という同期の友達もいます。その通りだと思うのですが、僕は一生企業で働くのは嫌だと思っているので20代のうちに大きい会社で経験を積んで、自分で自分を養えるようになろうと考えています。その場合必ずしもカナダに残る必要はないという結論に至りました。
そこで僕が今目指しているのは日本で就職してそこから海外派遣で国外で仕事をするというものです。グローバル志向の会社に入っても全員が海外で働けるわけでは無いのは理解していますが、これは勝算があり、かつリスクの取り甲斐があると考えます。
あと現地就職する場合とでは給与に圧倒的な差があります。お金も大事です。
という訳で来月、再来月と色んなジョブフェアに行ってきます。
結局ボスキャリかよ
とりあえずボスキャリ
Rちゃん:「海外大に進学する日本人って要はみんなと同じ進路が嫌でわざわざ海外に来たのに、結局最後は就活セミナー行って、企業攻略して、リクルートスーツ着てみんなと同じようにボスキャリに行くのって何か嫌じゃないですか?」
これは僕もめっちゃ共感しました。
日本の受験社会が心底嫌になって海外に来たのに、就活となると国内の大学に行った人達と同じようなことをしている自分を見て、これでいいんかな?と思ったり。
ボスキャリでみんな黒いリクルートスーツを着て順番待ちしている写真を見て「こんなんしたないわ」と幻滅したり。
ここまで"自分らしく"進路を決めて生きてきたはずなのに、最終的に同調圧力に屈してしまうのか、とも悩んだり。
結局みんなコンサル、商社、金融らへんに落ち着くねんよな、何か嫌やな、と思ったり。
そういうのが嫌なはずなのに、それでも「ボスキャリ_攻略」などと検索している自分がいたり。
典型的な国内大学生がみんなと異なることを恐れるように、海外大生はみんなと同じであることを恐れる傾向があるように感じます。これは個人主義の文化が強い北米などの地域に留学している学生間でより顕著です。
僕もご多分に漏れず天邪鬼気味なので、就活は黒じゃなくて紺のスーツで臨みます。
(反抗の仕方が超地味w)
個性ってなんぞ
そこで考えたのが、ボスキャリに行かない、一般的な就活しない=自分らしい、になるのかということです。
一般的な就活をせずに起業したり、ベンチャーに就職したり、NPOで活動する人もたくさんいます。人それぞれの正解があるので、こんな選択肢は間違っている何てものは絶対無いです。実際にそういうキャリアパスを選んで幸せに生きている方達も知っています。
でも単純に「みんなと同じが嫌」という理由だけで"攻め"の選択をして、失敗してしまう人の話も聞きます。
人間は社会的な動物なので、どうあがいても一人では生きていけません。
どれだけ粋がっても結局何かのグループに属すことになります。
個性を表現するために髪を染め、奇抜なファッションをして、タトゥーを入れても「髪を染めて奇抜なファッションをしてタトゥーを入れている」グループに属しているのです。
それと同じで、"みんなと違う進路"を取ったとしても、"みんなと違う進路"に進むグループに属する訳で、そうなってくると結局みんなって何なんってなってきます。
中途半端なヤンキーがダサい理由はここにあります。
人としての真の個性や魅力は自分と向き合い、挑戦し続けることでしか身に付かないと思います。
周りを見ることも時には大事ですが、周りに気を取られすぎて自分を見失っている場合ではないのです。
結局"みんな"って自分の中で勝手に作り出した強迫観念じゃないですか。
そうして「みんなと同じフォビア」に陥ってベストな選択を出来なくなってしまうのは本末転倒です。それなら結果として他の人と似た選択肢を選ぶことになっても、その結論に至るまでの過程で生まれた自分らしさを大事にすることが、結局は自分らしい選択になるのでは無いかと考えます。
「今」を生きれない"意識高い系"若者達
僕が小中高の受験生活を通して学んだ大事なことの一つが「今を生きる」ことの大変さと大事さです。
幼稚園児の頃は小学校受験に向けて勉強し、小学生になったら中学校受験のために勉強し、中高生の間は大学受験のために勉強と駆け抜けてきました。
もちろん友達と遊んだり、家族と過ごしたりと楽しい思い出もたくさんありますが、ずっと心のどこかで受験、試験、つまりは未来のことを心配してたように感じます。
Rちゃんも「将来のことを考えるともっと勉強したり、インターンしたり、運動したりしないといけないと考えて、でもやらなければいけないことが多すぎて息が詰まっちゃいそう」と言っていて、分かるなと思いました。
将来のことを考えることも、目標を立てて、それに向けて努力することも間違いなく大事です。「You only live once」スタンスで今日さえ良ければ全て良しというのも、いささか短絡的であるように感じます。
実際に僕も日々、勉強、読書、トレーニング、自己管理に計画的に取り組むことで日々成長できるように生きています。
しかし、この「未来向上志向」に偏りすぎることには思わぬ落とし穴があるのです。
それは今を生きれなくなること。
未来にしか目を向けていないと常に強迫観念と向き合い続けることになり、これはとても辛いです。なぜなら未来に起こることなんて誰にも分からないからです。
さらに怖いのが誰も、あなた自身でさえもこの考えにブレーキをかけてくれないことです。
「良い会社に入る為にインターンします」「良い会社に入る為に二年生のうちから就活を始めます」何て言ってもほとんどの人がすごいね、意識高いね、頑張ってるね、とポジティブなことしか言ってくれません。
なぜならあなたが言っていることは絶対的に正しいから。
ここで「もうちょっと肩の力を抜いて学生生活楽しみなよ」などと言えば意識低い系のレッテルを貼られます。そしてそういう思いが自分の頭の中をかすめても、自分を律しなければいけないともみ消してしまいます。
そうして自分を不必要に追い込みすぎて辛くなってしまうのです。
未来の為に努力することは自分の人生を良くする為にしているはずです。
それなのに未来に向けて今を犠牲にし続けることをずっと繰り返していたらいつ私達は真の意味で人生を生きるのでしょう?
未来の為に生きることを今を精一杯生きれていない言い訳にしていないでしょうか?
僕はそうしてしまっていました。
人間、時としてその場に立ち止まったり、過去を振り返ってみたりすることの方が未来に向けて突っ走ることより難しかったりします。
今をしっかり生きることは未来の為に生きることよりよっぽど難しいことかもしれない、だからこそ私達はこの現実に向き合う必要があるのです。
死に際に後悔することリストにも、「働きすぎなければよかった」「幸せを諦めなければ良かった」などというのもあります。
しかし同時に「もっと行動すれば良かった」という後悔をされる方も多いとあります。
これらから導き出せる結論は「常に向上心を持って挑戦を続けながらも、今自分が生きている人生を大事にしよう」というものではないでしょうか。
我々がすべきは「幸せになる為の努力」であって、「幸せを犠牲にしてする努力」ではないはずです。
これを僕達、大学生に当てはめるとしたら「将来のことも見据えながらも、人生に一回しかない大学生活をしっかり楽しみ、充実させよう」ということになるはずです。
学業もアルバイトもインターンも課外活動も全部頑張ったって良いんです。
挑戦を続ける人は素敵です。
そしてそんな中でも友達や家族と大事な時間を一緒に過ごしたり、自然や芸術に触れたり、スポーツに打ち込んだり、芸術にどっぷり浸かる時間を取ったりすることで自分の人生をより豊かにするのも今の私達には必要ではないでしょうか。
生き急ぐだけの人生では死に際に満足できないと僕は思います。
最後に
就活の話のはずが人生について語り出しやがってこいつ大丈夫か、と思われたかもしれませんが心身共にすこぶる健全なのでご安心を。笑
就活するにあたって、今まで自分が人生の中で下してきた決断やそれに対する想い、自分がなぜ今までこうやって生きてきて、これからどう生きたいのかのかなど、自省の機会を設けられて良かったなと思います。
自分もスケジュールをパンパンにしてエンジン全開で生き急いで、自分を故障させかけたこともあるので、自分への戒めへの意味も込めてこの記事を書きました。
疲れ切ってしまっては人生どうにもなりません。
たまにはちゃんと自分のご機嫌も伺ってあげましょう。
目標地点にたどり着く為には時としてペダルを踏む足を止め、水を飲んで休憩し、ギアに油をさしてあげることが必要かもしれません。
そしてそれは決して「逃げ」ではありません。
むしろ無理して走り続けることが逃げてることになっているかもしれません。
リフレッシュしたらまた全力で飛ばしたって良いんです。
Carpediem!
皆さんの人生に幸あれ。
ブラジリアン柔術があなたの人生を変える6つの理由
今日は僕が趣味でしているブラジリアン柔術への愛を語ります。
半分冗談で半分本気です。(柔術家の皆さんにはこの気持ちが分かるはず...!)
今まで色々な格闘技をちょこちょこやってきた浮気者の僕がどうしてカナダでブラジリアン柔術 (以下BJJ) を始めてどハマりしているのか。
まずは僕とブラジリアン柔術のなりそめから見ていきましょう。
僕が柔術を始めたきっかけ
カナダに来て二年目の当時、僕は総合格闘技ジムでMMAをしていました。
打撃もグラップリングもどちらも学べるMMAが好きだったし、何より今までしていた武道と違う格闘技としてのMMAは、より"リアル"で刺激的で楽しかったです。
しかし、とあるスパーリングの日、陸軍兵士とペアになってしまった僕は目に何発か重いパンチを受けてしまい、目の中で内出血して右白目が半分ほど真っ赤になってしまいました。眼科に行ったらそんなにひどい怪我ではなくて視力にも問題は無かったのですが、僕の目は構造上、外部からの衝撃に弱く (ちっちゃい時からかなり目が悪いです)、これからは打撃系格闘技は控えるようにと言われました。
プロになりたかった訳じゃないし体が第一なので、これからは組み技をしようと今度は柔道を始めました。柔道も楽しかったのですが、どうにも帯から下を触ってはいけない、投げたら終わり、というのが好きになれませんでした。高校生の時、アメリカで少しレスリングをしていたこともあり基本的なタックルは出来たし、奥襟なんて到底掴めないクソでかい外国人ならタックルで倒した方が楽、というかタックルでないと倒せないんじゃないか、とも思いました。もちろん僕の柔道がど初心者だったのもありますが、目の前に相手の足があるのにタックル出来ずにいるのはもどかしかったです。あと引き込みなんかももちろん無かったし、寝技が好きだった僕は他にもっと自分に合っている格闘技があるのではないかと思いリサーチし始めました。
元々レスリングや柔術などの組み技が好きだったことからも、ブラジリアン柔術の存在は何となく知っていて興味がありましたが、具体的にどんなものかは体験したことはありませんでした。
そんなある日、家の近くにブラジリアン柔術のジムがあるのを見つけました。GiとNo-Giの両方のクラスがあるし家から近いから、という理由でとりあえず体験クラスを予約しました。1時間ほどのクラスでしたが、これが僕の探していた格闘技だ! と思いクラス後すぐにメンバーになり今に至ります。当時から一年以上が経ちますが今は青帯として日々楽しくトレーニングに励んでいます。
そんな柔術ジャンキーになりつつある僕がまずは柔術の魅力を語ります。
柔術の魅力
BJJ is for everyone!
年齢、性別、体格に関係なく誰でも楽しめるのがBJJです。格闘技というと何となく物騒で激しく鍛えてガンガン試合をするイメージがありますが、実際は全然そんなことないです。
確かに試合前などは試合に出る人だけで激しめのスパーをすることはありますが、普段はみんなお互いを気遣い合いながら仲良く練習しています。もちろんたまには(?笑) ヒートアップしますがそれもある程度お互いの無言の同意がある時のみです。
初心者が理不尽にボコボコにされるなんてことは無いはずなのでご安心下さい。
また僕は試合をしますが競技志向の人は約半分ぐらいとそんなに多くないですし、週に1,2回とのんびり続けてらっしゃる方もいます。もちろん女性の方も一緒に練習していますし、学生から結構お年を召されている方まで色んな人がいます。
比較的安全
BJJは"Gentle Arts"と呼ばれることからも比較的安全な格闘技とされています。
色々な格闘技をしてきた僕の個人的経験からしてもBJJは安全に取り組めると思います。
殴られて目が腫れることも無ければ、打撃で脳を揺さぶられることもありません。
もちろん格闘技、そしてスポーツであるからには怪我のリスクはありますがそれはどの競技でも同じでしょう。何もしていなくたって階段から落ちて怪我をする人だって割といるのでリスクを恐れていては何も出来ないと思います。
もちろん怪我のリスクを下げるために、ストレッチ、筋トレなどをして自分の体を労わり補強することも大事です。
QOL向上
元々そんなにダラダラとした生活を送っていたわけでは無かったのですが、柔術を始めてから普段の生活によりメリハリがついたと思います。柔術のクラスの時間は決まっているので、学校の授業やバイトなどその他の固定されたスケジュールと共に1週間のタイムラインに放り込むことで空き時間が明白になりました。
それによりこの空き時間で飯作って、ここで勉強しとかないとヤバイ、といったように具体的にいつ何をしないといけないかが大体分かるようになり、生活全体の生産性が上がりました。
生産性のある生活を送ることで日々感じる充実感も増しますし、「いい感じに成長出来ているな」と自信もつきます。結果QOLも上がるというわけです。
続きやすい (かも)
痩せたい! 体を引き締めたい! でも有酸素マシンはつまらないし、ジムもランニングも続かない!
そんなあなた、柔術はいかがでしょう。
このご時世、健康的になろうと思うとみんなジムに行こうとしますが多くは続きません。なぜでしょうか?
大抵は"ジムで何をすればいいか分からない"、"筋トレの仕方を知らない"、"一人で黙々と作業をするのが合わない"、"似たような動作ばかりで飽きてくる"、"一緒に行く人がいないと続かない"、"単調で苦しいことが苦痛"などでは無いでしょうか?
これらの全ての要素をカバーしているのが柔術です。
"何をすればいいか分からない / やり方を知らない"
分からないことは先生や上級者が教えてくれるし、出来ないからといってほったらかしにされることはありません。自分にやる気があれば分かるまで、出来るようになるまでしっかり教えてくれます。
"一人で黙々と作業をするのが合わない"、"一緒に行く人がいないと続かない"
柔術は基本的にパートナーが必要なので一人で何かをする、という場面はあまり無いです。みんなで何かをするのは楽しいですし、また道場に戻ってくるモチベーションにもなりますよね。今日はあんまり気分が乗らないけどみんなに会う為に柔術しに行こう、ともなる訳です。
"似たような動作ばかりで飽きてくる"
ウエイトトレーニングはほとんどの動作がある程度決まっています。ベンチプレスならこのフォームでこうあげる、スクワットならこう、といった具合です。正しいフォームで動作を行うことが大事とされていて、"技のバリエーション"なるものはほぼ無いといっていいです。グリップを変えたり異なったマシンを使うぐらいでしょうか。
ちなみに僕はウエイトはもうしていなくてCalisthenics (自重トレーニング)しかしていないのですがこれはまた別の記事にします。
この点、柔術の技は無限にあるしGiとNo-Giでも戦い方は変わってくるので飽きることはまずありません。さらには自分流の戦い方まで開発出来ます。自分が習得した技と戦略で相手と戦う、ゲームの勇者になったようでワクワクしませんか?笑
こういった理由でBJJはジムやランニングなどよりは続きやすいと僕は思いますし、実際今も続いています。それでもキツイ、忙しくなった、等の理由でBJJを辞めてしまう方が多くいるのも事実です。BJJ黒帯になるには約10年かかると言われており、そこに到達するのはほんの一握りです。僕も未来のことは分かりませんが末長く柔術家として生きて生きたいと思っています。
コミュニティーが出来る
先ほども少し書きましたが柔術はパートナーがいないと出来ないです。
そういう意味ではBJJは団体競技と言ってもいいでしょう。
練習では自分の体を相手に預けることになるので信頼関係が生まれますし、互いへのリスペクトも自然と身につきます。こうして僕たちはBJJを通して絆を育んでいくのです。
またBJJをすることによって色んな人に会えることが出来ます。僕の場合だと以前の人間関係はほぼ学校、バイト先、ぐらいでしたがBJJを始めてから交友の輪が大きく広がりました。僕は道場内でかなり若い方ですがみんな分け隔てなく接してくれますし 、(ちなみに僕は大人びて見えるようで25-28才ぐらいだと思われていたそうですw)色んな人種、年齢の人達が同じ場所で共に汗を流しているってとってもcoolです。
BJJを始めていなかったらローカルの人達と出会うことも無かったし仲良くなることも無かったと思います。BJJのおかげで文字通り世界が広くなりました。
心身共に強くなる
当たり前ですがBJJは格闘技なので心身ともに確実に強くなります。
BJJを始めて数ヶ月経ったら体に変化が出てきますし、スパーや試合をこなすことで精神的にも強くなります。結果、多少のことでは動じなくなり、落ち着きも増します。
普段の生活でめんどくさい人に絡まれても「こいつなら20秒ぐらいでリアネイキッドチョークで眠らせられるな」「こいつはでかいな、つっかかってきたらタックルで倒そう」と脳内で物騒かつ実現可能なシュミレーションを行えます笑
そりゃ余裕も出てきますよね。
若干、中二病的な例えでしたが普段からスパーや試合などで普段味わわないような緊張感を体験しておくことで日常生活でストレスフルなことに遭遇しても比較的対処しやすくなるのは事実です。もっと自分に自信を持ちたい、心身共にもっとタフになりたい方にはとってもオススメです。
まとめ
以上、僕が思う柔術の魅力でした。
いかがだったでしょうか?
良いところばかり紹介しましたが、BJJも格闘技、コンバットスポーツであるので怪我の危険性はあります。
しかし、それはどのスポーツをするにあたっても避けられないことだし、スポーツをしていなくても日常生活で階段から滑り落ちて怪我をしてしまうことだってありますよね。
なので怪我のリスクを理由にBJJを諦めてしまうのは非常に勿体無いと思います。
というわけで少しでもBJJに興味をお持ちになったら是非近くの道場に体験に行ってみて下さい! 道場の様子や雰囲気、さらにコーチや道場生の様子も見て自分に合ってそうか確かめてからだとより安心して始められますよ。
少しでも読者の皆さんがBJJの良さに気付いて、そして願わくばこの記事が皆さんのBJJ Journeyを始めるキッカケになれば嬉しいです!
それではまたお会いしましょう。
本日も最後までお読みくださり有難うございました。
あなたがインスタをやめた方がいい7つの理由:Youは最近病んでない?
いきなりですが皆さんはインスタグラムを使っていますか?
僕は現在カナダで大学生をしているのですが、周りでインスタグラムを使っていない人はほとんど見かけません。大学生ならほぼ全員が持っています。
きっと日本の大学でも同じではないでしょうか。(しばらく帰国していないので国内事情に疎くなってきています...。)
そんな僕らにとって身近な存在であるインスタグラム、実はあなたの精神が病んでいる原因になっているかもしれません。インスタのせいで気持ちが落ち込んだり、"インスタ疲れ"したことはありませんか?
今日はCommunication major (日本語でいうところのメディア学的な専攻) の僕がインスタグラムの闇について論文や研究結果を元に語ります。
読み終わった頃にはインスタのアカウントを消したくなるかも...?
(結構長いので興味のある方のみどうぞ)
目次
なぜインスタはヤバイのか
インスタはキラキラの集合体
「留学生活すごく楽しそうでいいね」「いつも友達に囲まれていて楽しそうだね」
アメリカにいた時もカナダに来てからもFBやインスタでたまにこのようなことをよく言われます。
「そりゃそうや!楽しいところや遊んでるところの写真しか載せてないから!!」
入学したてで友達が全然いなくて毎日一人で飯を食ってたことも"彼ら"は知らないし、バイトやトレーニング、勉強、何もかも上手くいかなくて押しつぶされそうになって、バスの中でフード被ってこっそり泣いてたことももちろん"彼女達"は知らない。別にそいうところまで知ってもらいたいとは思わないけれど、海外で四六時中楽しくほんわり生きていると思われるのもなんだかな、とも思います。与えられたチャンスに感謝はしているけれど楽しい事ばかりじゃないよ、と。
SNSはpublic / openな場所であり、そこでしんどい、病んでるアピールするのって結局は人の関心や同情を得る為。それは言わば他人を巻き込む型自慰行為だし、それを見た離れた場所にいる家族や友達に無駄な心配をかけることにもなるかもしれない。(特に大学生は恋人と別れた時にそれを暗示することをストーリーに載せてカマってちゃん/異性に自分フリーになりましたよアピールしがち) ←自分も過去にした事がある、マジでshame
そんなことするぐらいなら、自分が話したいと思う大事な人に直接電話なりした方が問題解決にもなるし、変な誤解を生むこともない。とりあえずネガティブなコンテンツは誰の幸せにも繋がらないから控えておこう、という理由で僕は基本的にポジティブなことしか自分のページにはあげないようにしています。
インスタというのはその人の生活の一部を切り貼りした上で、修正までかけられてたりもする超加工製品。このことを理解していない人が意外と多いのは中々に恐ろしいことだと思います。 プロレスに台本がないと思っている、AVの内容を全て演技なしの本物だと思っている、並みにヤバいです。そんなん知っとるわい、当たり前やんと思われる方も多いと思いますがここが落とし穴です。
気づくことと本当の意味で理解することでは大きな違いがあります。
SNSに関する色んな論文を読んだり授業で論じたり、さらにペーパーまで書いたりして分かったつもりになっている、そんな僕でもどうにも未だにインスタ上のコンテンツを現実のものと無意識のうちに混同してしまっていると思います。だから時には嫉妬もするし、孤独感を感じたりもする。目に見える目の前の写真と目に見えない画面の向こうの世界ではどうしてもリアリティーが違うので、脳が仕分け切れないのです。
あなたはインスタで垣間見える様子は、その人の生活の氷山の一角のピカピカしたところに過ぎないことをちゃんと理解していますか?
結局みんな人間なので色々ダサいことやめんどくさいこと、悲しいことを抱えて生きてるんです。どんなにインスタがキラキラしていても、いやインスタがキラキラしていればキラキラしているほど、それに反比例して実生活の輝きは失われていくのです。
なぜなら自分自身をSNS上で良く見せようとすればするほど、それは現実のセルイメージからかけ離れたものなっていき、そのねじれが自身への不信感や不安感に繋がるからです。
"The more miserable you are, the happier your social media posts"
↑自分のペーパーを書いていた時に見つけた一文。悲しいけれどこれが真実。
プチまとめ
インスタ=超加工製品 (加工されているものは基本体に悪い)
茹でガエル
ムキムキの男達、ナイスバディーの女の子達、モデル、俳優、お金持ち、そんな"理想的"な人々の写真を繰り返し日常的に見ることは実はすごく危険なことかもしれないんです。
今セメスター、ある授業のグループプロジェクトでSNS、特にインスタグラムが学生のself-esteemにどういう影響を与えているかというリサーチをしました。(ちなみにグループ名はSelf-esTEAM, 我ながら中々オシャレだと思っていますw) アンケートで学生からデータを集めたところ多くが「IG上のコンテンツが自分のself-esteemに悪影響を及ぼしていると思う」に「非常に当てはまる」「当てはまる」と答えました。同クラス内の生徒約100人から取ったデータなのである程度信頼できると思います。
結果について話し出す前にまずはSelf-esteemとはなんぞやというところから。
Self-Esteemとは日本語で言うところの自己肯定度。もう少し噛み砕いて言えば"ありのままの自分を受け止め前向きに進む力、自分の欠点も受け入れられる力、自分に対するポジティブなイメージを持つ力"になります。
日本語での説明が難しいなと思ったのでこの方のブログを参考にしました。
分かりやすく説明して下さっているので是非読んでみて下さい。
ではなぜ"理想的"なコンテンツを日常的に閲覧することが、自己肯定度の低さに繋がるのでしょうか?
まずは外見から。
僕達のチームはIG上のコンテンツの中でもBody imageに絞って調査しました。結果「IG上のモデルや俳優の写真を見た後、自分の体型や外見に劣等感を抱いたことがある」と答えた生徒が男女共に過半数を占めました。男子は大抵ムキムキのフィットネスインフルエンサーに対して、女子はモデルやアイドルなどに対してコンプレックスを抱きやすいようです。IG上の写真、特にインフルエンサーやモデルの写真のほとんどが加工、修正されているので現物より良く見えますよね。そんな人々の写真を見ることで人々は無意識のうちに自分と彼ら、彼女らを比較し「あー俺はこんなにええ体してないよな..」「私もこの人みたいにもっと美人やったらな..」とどんどん自己肯定感を下げていってしまいます。つまりIGを使っているだけで知らず知らずのうちに自分の外見への自信を失っていっているかもしれないということです。恐ろしや。
さらに外見だけでは無く私生活でも同じことが起こりえます。
例えば自分が独り身なのに恋人がイチャイチャしてる写真を見て「自分にパートナーがいないのは自分のせいかもしれない」と思ったり、運動しなきゃいけないと思っていても中々出来てないときに友達がジムにいっているのをストーリーでみて「自分ダメだな」と思ったり、一人ぼっちで週末勉強している時に友達がパーティーしているのを見て「自分の人生つまらないな」と思ったり。きっと何かしらあなたにも心当たりがあるはずです。とりあえず見なくていいものが見え過ぎてしまうのがSNSです。そのカップルだって実は今喧嘩中かもしれないし、彼女らもいつもいつもパーティーしているわけではないし、ジム通いが好きな彼も実は自分に自信がないから鍛えている、などそれぞれのリアルは全然キラキラしてない場合が多いです。それでも僕らの脳はそれらを現実、全てだと認識してしまうので結果どんどん自分が惨めに感じてしまうのです。
またこれは僕が個人のIGのアンケート機能を使ってとったデータなので母体数はあまり大きくないですが「人々は実生活で幸せになるよりSNSで自分を幸せに見せることの方により労力を使っている」というものに対して約85%以上の回答者が「当てはまる」と答えました。結局みんな実際は幸せそうに見えるほど幸せではないということでしょう。
カエルを熱湯に入れたら熱くてすぐに飛び出してくるが、カエルの入っている水槽を常温からをじわじわと沸騰させていったらカエルはそれに気付かず逃げることなく茹でガエルになってしまう、という話はご存知でしょうか。
これと同じことが僕らにも起きています。
しかもタチが悪いことに水の温度を上げ続けているのはインスタを使い続けている私達自身なのです。
あなたは知らず知らずのうちに自分で自分を苦しめていませんか?
"繋がる"ことでより増す孤独感
2017年にアメリカの48,000人の大学生に対してメンタルヘルスに関する調査が行われました。その結果、「過去12ヶ月間で非常に孤独だと感じたことがる」と答えた生徒は約68%にも上った、というデータがあります。また別の研究では35%もの生徒が「頻繁に不安感に襲われることがある」と答えています。
これはどちらもアメリカで取られたデータなので日本と比べるのは少し難しいですが、 (北米の大学は全体的に日本と比べて勉強量が圧倒的に多いし、卒業のハードルも高く、よりストレスフル) これらの数字から、いかに多くの学生が孤独感や不安感を頻繁に感じているかが分かります。
しかしこの"孤独問題"は学生間のみの問題ではありません。
2013年に出版されたAmerican Sociological Reviewによると、アメリカ人の一人当たりの近しい友達の平均数はたったの一人で、また75%もの人々が「自身の交友関係に満足していない」と答えたそうです。さらに45歳以上の三人に一人が「自分は孤独である」と答えています。要は老いも若きもアメリカには孤独な人が多いということです。
それでは日本はどうなのでしょうか?
我々日本人にとって恐ろしいデータがあります。
2007年にユニセフによって行われた「OECD諸国における子供の幸福度調査」によると「自分は孤独だ」と答えた15歳以上の児童の割合は24カ国中、トップで29.8%だったそうです。しかも2位のアイスランドに19.5%もの差をつけてのブッチぢりです。
では大人はどうでしょうか?
2005年に行われたOCEDの社会的孤立に関する調査では、「日常生活において人々との交流がめったに / 全くない」と答えた大人が15.3%と世界一でした。これらの数字からして、日本人は世界でもトップクラスの孤独な民族のようです。
孤独問題はとても難しいもので、外見、収入、人種、生活環境など様々な要因が考えられます。しかし僕はこれらの要因の一つとしてSNSの存在がとても大きな比重を占めていると考えています。特に若い時からSNSに慣れ親しんできた僕達ミレニアム世代にとってです。
ここで面白い論文を紹介したいと思います。
2005年に発表された「The Effect of Loneliness on Social Networking Sites Use and Its Related Behaviors」https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5016348/
という論文によると研究者たちは
「孤独感な人とそうでない人を比べた結果、孤独感とSNS使用の動機、またSNSの使用時間の長さの間に相関関係は見られなかった」
としています。意外ですよね。
「なんや、じゃあ別にSNSが人々を孤独にしてるわけじゃないってことやん」と思うかもしれませんが、これは半分正解で半分間違っています。
論文はこう続きます。
「人々が最初にSNSを使い始める時の動機は孤独感を癒すためではなく、新たな自分のアイデンティティを構築するため、というものである。それはその時点での人々の孤独感の有無とは関係が無い。しかし孤独な人々とそうでない人の違いは、孤独な人々は現実世界よりオンライン上でのコミュニケーションの方を匿名性が高いという理由で好み、現実世界より開放的、友好的になる、という点である。彼らはオンライン上ではより自分らしく、または理想的な自分でいられる、とも答えている。しかし皮肉なことに彼らのオンラインでの活動が充実すればするほどオフライン、つまり現実世界での自分はさらに孤独感を増していき、それに比例して現実世界での問題も増えていく。それらを癒すために彼らはより頻繁にオンラインに舞い戻ってくることになり、これが更に現実世界をより住みにくいものにする。彼らはこの悪循環に囚われてしまっているのだ」
これを簡潔にまとめると
「SNSが必ずしも人々を孤独にさせるとは限らないが、孤独な人々がSNSを使うことでより孤独になってゆく」
となります。
海で漂流している人が喉の渇きを癒すために海水を飲み続け、体内の塩分過多により死亡してしまうのと同じ原理です。
注:ちなみにSNSと孤独感の相関関係を示す研究が多数あることも事実で、この論文の筆者達もそれを理解しており「これらの研究結果は過去に行われたものと相反するものであり、この問題については更なる研究が必要である」としています。
しかし
思い出して下さい、上記の通り我々の多くがSNS問題云々を差しおいても、何らかの理由で既に孤独なのです。この孤独の世代にSNSが普及したことによって、孤独パンデミックが起きてしまったのではないかと僕は考えます。
要は火に油を注いでしまったという訳です。
SNSが孤独の原因になっているのか、孤独だからSNSを使うのかは、卵が先かヒヨコが先かという議論と似たようなものであるため明確な答えを出すのは難しいですが、SNSがメンタルヘルスに及ぼす悪影響は多くの人に理解されておくべきことではないでしょうか。
ちなみに"孤独"については前に記事を書いたことがあるので良ければ読んでみて下さい。
プチまとめ
インスタとはラットレースである
インスタ、それは野生の王国
僕はインスタは野生の王国、ユーザーはゴリラのようだと思っています。
「...は?」
意味不明だと思うので説明します。
まずゴリラの群れには常にヒエラルキーがあります。一番大きくて強いオスがシルバーバックと呼ばれ食料もメスも選びたい放題です。そして自分の強さを他のオスに知らしめるために胸を叩いて威嚇し、時には相手の上にのって優位性を誇示します。これをマウンティング呼びます。
マウンティング:サルやゴリラなどの霊長類が自分の優位を顕示するため相手に乗りかかる体勢などを指す表現として用いられていた。霊長類の自己顕示行為としてのマウンティングは相手がオスかメスかに関係なく行われる。: WIkipedia参照
これととても似たようなことが人間界のSNSでも頻発しています。
まずはヒエラルキー。これは大抵フォロワーの数や投稿のいいねの数が多ければ多いほど上位になります。実際に大学生を対象にしたSNSのアンケートで「フォローワーの数が多いユーザーのコンテンツの方が信憑性があると思う」に「とてもそう思う」「そう思う」と答えた学生は7,8割を占めました。実際お金を払ったら自分のアカウントのフォローワーを増やしてくれるサイトなどもあります。確か増やすフォローワー数に応じて値段も高くなる、的なシステムだったと思います。闇が深すぎる。
次はマウンティング。
これには露骨なマウンティングと間接的なマウンティング、ゴリゴリなものからおしとやか目なものまでバリエーションは多岐に渡ります。露骨なマウンティングには自分の持ち物、車、など物質的なものをひけらかす系が多いです。一応僕達も文明人なのである程度 ”品" あるいは"恥"を気にするのでオープンカーから札束をばら撒くといったような (ラッパーのMVあるある) とても露骨なのはあまり見ないと思います。
その代わりに間接的なマウンティングが多い気がします。
「今日は彼/彼女との記念日❤️」 毒訳:こんなに幸せな私達を見て!
「こんなこと成し遂げました!」 毒訳:すごいやろ!褒めて!
「旅行に来ています!」 毒訳:見て見て! ええやろ!
「このメンツやっぱり最高!」 毒訳:こんなに友達おるねんで! 全然孤独じゃないし!
等々。
結構心当たりありますよね、僕もかなりあって心苦しいです。
ある研究によるとミレニアム世代の三分の一以上が自分の休暇を実際のものより良いものに見せるようなコンテンツを投稿したことがあり、そのうち65%以上がそれを見た人が羨むようにわざとそのようにした、と答えたそうです。
もうみんなとりあえずウホウホ胸を叩きまくっているわけです。
授業でもクラスメートが「IG is a platform where people flex」って言ってて確かになと思いました。
高度な知的生命物体である僕達はこういう裏の意味に気付きながらもおめでとう、すごいね、いいね、などと空虚なやり取りを人間関係を保つ為に行えてしまいます。冷静に考えたら人の自慢もイチャイチャアピールもどれも不必要かつ時には不愉快なものであるはずです。しかし僕達の脳はハイスペックなので、あるいはそのようなコンテンツに慣れきってしまっているので深く考えすぎずにやり過ごせます。
もちろんSNS上でも心を込めてやり取りすることもありますし、親友や家族が幸せそうにしていると自分も幸せになって心から祝いたくなることだってあるじゃないか、そんな僻んだ見方しか出来ないのは不幸だ!という意見も出てきそうですね。おっしゃる通りです、100%同意したいです。実際心のこもったリアルなやり取りはSNS上でも可能だと僕は思っているし、それが故に僕はまだFBもIGも使い続けています。
しかしSNS上全体のやり取り、またはコンテンツで本心からのものと偽りのものだとどちらの方が多いと思いますか? SNSを閉じるときに幸せな気分である時と不幸せに感じるとき、どちらの方が多いですか? ちなみに僕達が取ったデータでは「SNS使用とネガティブな感情には相関関係がある」に過半数以上の生徒が同意しました。
それではどうして僕達はこのマウンティング、もしくは"かまってちゃん"をやめられないのでしょうか?
これには人間の本能的な欲求の一つである承認欲求が深く関係しています。
マズローの欲求段階説によると人間の欲求にはピラミッドのように段階があり、下から生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求の五段階があり、土台の欲求を満たすことで次の欲求を追求できるようになります。
詳しくはこちらをどうぞ。
先進国に住んでいる僕達は大抵、社会的欲求までは満たされている場合が多いので次に来るのは承認欲求です。このような仕組みで多くの人々がいいね乞食に成り下がってしまいました。実際の研究でもアメリカの10代の中高生にアンケートをしたところ"いいね"の数が感情の起伏の原因になっていると答えた学生が過半数を占めています。またいいねやコメントの通知を見るとき人間の脳内のドーパミン値が跳ね上がるようです。僕達がいいねの通知を見たときに何となく嬉しい気持ちになるのはこのドーパミンによるものです。
これは"インスタ映え"という言葉にも現れていると思います。
ちなみに英語でも類語(?)でdo it for the gramというものがあります。映える撮り方、映えるスポット、映えるもの(新商品のタピオカ) 、何故いちいち何もかも映えなければ、いや、映やさなければいけないのでしょうか? それはより多くのいいねをもらい自分自身の虚栄心を満たす為です。僕達はより多くのいいねを貰う為に、そして自分の脳を喜ばし続ける為にいかなる努力も惜しみません。"映えスポット"や"映えるもの"に大量の人々が群がるのはこれ故です。これらの行為が根源的な要求の一つである承認欲求がなせる技であるからには、人々がSNS中毒になってしまうのはある程度仕方のない事なのかもしれませんね。
ちなみにインスタグラムもこの事態を懸念していて現在カナダでは自分以外の投稿の総いいね数は見られなくなっています。個人的には良い試みだと思っています。
プチまとめ
我々は構ってもらいたいゴリラである
"セルフィー"の危険さ
セルフィーってよく聞きますよね。皆さんや皆さんの周りの人にとっても身近なものであると思います。それでは何故我々はセルフィーを撮るのか、思い出を残すためとかいう理由もありますがほとんどの場合SNSに上げるためではないでしょうか?
そんな身近な存在であるセルフィー、実はとっても危険なんです。
まずセルフィーとナルシズムには深い関係があることが様々な研究で示唆されています。ちなみにナルシズムとは自己愛、自己陶酔という意味です。"ナルシスト"という言葉はよく聞きますよね。自分が好きで何が悪いねん、とう言う方もいるかもしれませんが自尊心と自己陶酔は似ても異なるものです。
詳しくはこちらをどうぞ。
この方の記事と多少被るところもありますが、何故セルフィーがナルシズムの根源でナルシズムは危険なのかを説明します。
Swansea大学が74人を対象にセルフィーとナルシズムの関係を調べる為に四ヶ月間調査を行った結果、オンラインに彼ら自身の写真や動画をアップした被験者は25%もナルシスト的な特性が高まったとのことです。またセルフィーをアップしてより多くのいいねや肯定的なコメントを貰うことによってさらにナルシズム的傾向が強まっていったそうです。これらのいいねやコメントのことはインスタントフィーでバックと呼ばれます。
それでは具体的にナルシスト的な特性とはどのようなものでしょうか?
- 頻繁に嘘をついたり誇張表現を好んで使う
- 自分の非を認めず批判された時、過剰な自己防衛に走る
- 誤った自己表現、現実と自意識のずれ
- 約束を守らず限度というものを知らない
- 他人を貶める、感情の起伏が激しすぎる
- 他人を自己利益の為に使う
- 協調性、共感力の欠如
- 自惚れ、過剰なまでの自身の外見への自信
ナルシストって自分のことかっこいい、かわいいと思っている人、ぐらいの認識でしたがこれらは中々毒々しいですね。。ちなみに今先進国ではこのナルシズムが増加傾向にあると言われていて、上記のナルシストの特性を鑑みても事態を憂う研究者は少なくないようです。皆さんの周りにもページがセルフィーだらけの人、ストーリーにセルフィーばっかりあげている人いませんか?
ただ気をつけないといけないのがセルフィーをあげるという行為は絶対悪とは言い切れないということです。ある研究者はセルフィーをアップするという行為はこのSNS世代においては文化的規範である、彼らは単により効率の良い自分自身の表現方法を手にしただけではないのかという意見もあります。いわば昔の人が俳句を詠むノリで今の若者はセルフィー撮っていて、いとおかしと言う代わりにいいねをつけてるんじゃね、ということです。
皆さんはどう思いますか?
プチまとめ
セルフィー = "セルフ白雪姫の鏡"
インスタは二種類の時間泥棒
あなたは自分が一日何時間SNSを使っているか把握していますか?
自分はSNSに時間を使いすぎていると思いますか?
起きたらまずスマホを開けてベッドの上でインスタをスクロールしているうちに気付いたら1時間たっていた、みたいなこともあるかもしれません。SNSユーザーの多くが自分がSNSに時間を割きすぎていることを自覚していて、僕達のデータでも約8割が「自分はSNSに必要以上の時間を掛けてしまっている」に「とても当てはまる」「当てはまる」と答えています。ちなみに僕達のクラスでは一日の自分のSNS使用時間を自己調査して自己申告/分析するというものを行なったのですが、多くの生徒が自分が思っていたよりも長い時間、自分は1日の中でSNSを使っていることが分かったと答えています。
どうして僕達はSNS、特にインスタに必要以上の時間を掛けてしまうのでしょうか。
その理由はまずはインスタの特性にあります。自分がフォローしているユーザーの数にもよりますが大抵いつでもインスタを開ければ誰かの新しい投稿、ストーリーがあります。また自分のフィードの投稿を見尽くしてしまってもフォロー外のユーザーのコンテンツも見ることができますよね。つまりインスタは消費可能なコンテンツが常に無限大に用意されている、いわば24hのバイキングなわけです。しかもタダで電波が届くところならどこからでもアクセス出来ます。
この点ではツイッターも同様に中毒性が高いですが視覚的コンテンツを多く含むインスタグラムの方が人間はハマりやすいと言われています。人間の脳は常に新しいものを求め続けるので、その本能の赴くままに脳を喜ばせ続けているうちに私達は多くの時間を失っているのです。
またインスタは、moment、"この瞬間" という意味での時間も我々から奪ってしまいました。
ストーリーが良い例です。
乾杯する時やバースデーソングを歌う時に必死でそれをストーリーにあげている人周りに結構いませんか?
花火大会に来て花火を見るより花火の動画をストーリーにアップすることの方に夢中になっている人いませんか?
24hで消えてしまう数秒の儚いビデオクリップの為に、僕達は長い間記憶に残ることになったかもしれない貴重な時間を犠牲にしてしまっています。乾杯は絆を深める為、バースデーソングを歌うのは誕生日を祝う為で、ストーリーにあげる為ではないはずです。
こうして何もかもストーリーにあげようとすることによって我々の目的意識は歪んだものへと姿を変えていきます。
また、ユーザーはストーリーをセルフブランディングによく使うことが判明しています。例えば友達と集まってそんなに盛り上がっていなかったのに、誰かがビデオを撮りだした瞬間いきなりはしゃぎだしてあたかも楽しい時間を過ごしているかのように振る舞ったり、あるいは普段はお互いケータイ触ってばっかりでろくに会話もしない、それなのにストーリでは仲良し、あるいはラブラブであるかのように振舞ったり。
こうしてストーリーで自分を良く見せようとすればするほど私達は本当の自分を見失い、"今"を生きられなくなっていきます。
ただでさえ現代人は日々の生活の中で忙殺される過程で、自分の存在や時間感覚があやふやになってきていると言われています。自分が何の為に生きているのか分からなくなったり、ネガティブな意味で多忙で時間が早く過ぎてしまっていると感じたことはありませんか? あれです。
これはメンタルヘルスにおいて非常に危険視されているもので、SNSが現代病の一因になっているのではないかと言われているのもこれ故です。
ちなみにsense of presence (今を生きているという感覚)を取り戻すための方法として瞑想がよく取り上げられますがこれについては他の記事で書こうと思います。
プチまとめ
"今"に集中しよう
広告に"洗脳"されるユーザー達
"フリーランチ"という言葉をご存知ですか?
言葉の通りタダのランチという意味で、飲食店が無料の昼食で客を引きつけ、儲けがより多いドリンクを自発的に頼ませることでより高い収益を得る、という戦略のことを指します。
実はSNSでもこれと同じことが起きています。
IGやFB、またはツイッターを使うのに基本お金はかからないですよね。(通信料、デバイスの購入費などを除く) ユーザーから直接お金を取らない代わりにこれらの会社は広告料などで利益を出しています。大衆向けの広告も多く目にしますがSNSならではの広告はpersonalizedされた広告です。FBやIGでさっきまで自分がAmazonで見ていた商品の広告が表示されたりするあれです。これらの広告は個々人の趣向性に合わせてアルゴリズムによって作成されたものなので利益率が高いとされています。
これらの広告を見る行為はfree labor / audience laborと呼ばれており、要はユーザーはこれらの広告を見ることによって企業の利益の為に知らず知らずのうちにタダ働きさせられている、ということです。このことからもこれらの広告は道徳基準に適っていないのではないかと問題視されています。誰だって自分が知らない間にタダ働きさせられるのは嫌ですよね。
またある商品を繰り返し見せられることによって実際人間は、よりそのその商品を欲しくなる、という研究もあります。これはザイオンス効果 (接触回数の法則) と呼ばれているもので接触回数が多いものに人間はより親近感を感じるというものです。
タダで使わせてくれるんやった広告ぐらい見てやるわいな、という太っ腹なあなた!
SNS上の広告の危険性はこのタダ働き問題だけでは無いのです。
まずはプライバシーの問題。
個人情報が企業の利益の為に搾取されまくっています。FBで流行りの何とか診断をするときにアプリが受け取る個人情報の確認をしてきますよね。あれがその一例で合意するたびに僕達の個人情報が流出していっています。またアカウントを作る際に、めちゃくちゃ長い読みもしないような文面に同意させられるのも基本的に同じようなものです。
またSNS上の広告の全てが明らさまな"広告"の形をしているとは限りません。
人気Youtuberやインフルエンサーは「俺が使っているプロテインはこれ!」「私がいつも使っている化粧品の紹介をします!」みたいなのをよくやっていますよね。あれも立派な広告です。彼らは時に利益の為に製品を偏った視点から紹介したり、悪質な場合は実際には使ってなかったりします。エンターテイナーとしてユーザーに夢を見させることを悪だとは言いませんが、これは夢を見させる、というか場合によっては体の良い詐欺とも見られます。ステロイドゴリゴリの筋トレYoutuberが「俺はこのプロテインを飲んでデカくなった!」とか、整形バリバリの"モデル"が「この化粧品のおかげで若さを保てています」とか言っているのを見ると、どの口がほざく、と思います。
ここではステロイドの使用や整形という行為の是非について語っているのではありません。
これらは個人の自由意志に基づいた個人的な選択であり、他人にとやかく言われるものでは無いと思っています。別に誰かに迷惑をかけている訳ではないし、それで本人が良いなら別にええやん、というのが僕のスタンスです。
問題は "自身の利益の為に間違った因果関係を用いて、作為的にユーザーを"洗脳"している" というところです。
自身のステロイドの使用については言及せず、「このサプリと俺の努力のおかげで俺はここまでこれた」というのは100%正しくないし、ヒアルロン酸を注入して若く保っている肌を化粧品のおかげだとプロモートするのは事実と反しています。
この間違った因果関係を人々に吹き込んで、そこから利益を得る行為は果たして道徳的なものと言えるのでしょうか?
ただ難しいのは上記したように私達はフォローワーが多いユーザーのコンテンツを無条件に信じてしまう傾向があるので、何が"リアル"なのかを見分けるのは大変困難であるということです。もちろん実際に本人が使って本心から良いと思ってプロモートしてる場合もあると思いますが、お金が絡むとどうしてもきな臭い話が出てくるのが悲しき人間のサガですね。
プチまとめ
広告恐ろし
まとめ
上:それでもどうして僕はインスタグラムを使い続けるのか
いやいや、一万文字近く使ってインスタのことをこき下ろしといて実際お前も使っとんのかい、というツッコミが雨あられのように降ってきそうですね。
まとめの上編として自分がなぜインスタグラムを使い続けているのか話したいと思います。
簡潔にいうと"繋がっていたいから"です。
「なんだ、お前もゴリラかよ」、「そうです、僕もゴリラです」
僕は高校二年次まで日本にいて、その後一年間アメリカに、それからカナダに来て三年ほど経ちます。アメリカでもカナダでも現地の人や生徒、さらに世界中のあちこちから来た留学生と家族、友人、知人になり沢山の思い出を作ってこられました。ありがたや。そんな彼らと繋がっていられる場所がSNSなのです。というか元々SNSは人と人とを繋げる、というのが本来の存在意義だったはずです。
IGやFBのポストを見ることで遠くにいても長いこと会えていなくても「元気で頑張ってるな」とか分かるし、気軽にメッセージのやりとりも出来ます。薄い広い人間関係ってどうなの、という意見も最もですし繋がり過ぎることの危険性も確かにあります。しかし僕らの世代はデジタルの世代です。これから先、インターネットやSNSは無くなるどころかますます発達していくであろうし、それゆえ僕達はそれらについて学び、考え、適応していく必要があると僕は考えます。またインターネットやSNSのおかげで僕達の"交友"の輪は大きく広がりました。SNSは何もネガティブなことばかりでは無いはずです。
僕らはこのテクノロジーの発達の恩恵に授かることでより人生をより有意義なものに出来るチャンスを手にしているのです!
そのチャンスを不意にして、本能が赴くままにウホウホとマウンティングの応酬に明け暮れ、精神を病ませるだけだなんて悲しくありませんか?
I believe we can do better than this.
中:僕が編み出した対処方
インスタがヤベーのは分かったけどアカウント消すのはどうにも踏ん切りがつかないよ、という皆さん。Welcome to the team! 僕も同じです笑
それでは僕が実際にしている対処方を紹介していきます
アプリを消す
シンプルかつ1番効果的な方法です。アプリを消してもアカウント情報は消えないのでIG開けるのは1日のこの時間だけ、などと決めておいてその度にアプリのインストール、消去をすればいいです。多少めんどくさいですがダウンロードもログインも大して時間が掛からないし日中、SNSで時間を無駄遣いすることも無くなることを考えたらメリットの方が大きいです。
初めはホーム画面にお馴染みのアイコンが無かったら、そわそわするし落ち着かないと思いますが、意外と慣れるので我慢しましょう。これが我慢出来ないとなると、それはもうSNS依存ということになるので必要であればお医者さんやカウンセラーと相談することも考えてもいいかもしれません。喫煙者が禁煙方法について医者と話すのと同じことです。SNSごときで何をそんなに大袈裟な、とお思いになると思いますが、ここまで読んで下さったならSNS中毒によってもたらされる害も、現代病の恐ろしさもある程度理解されているはずです。
自分の身は自分で守りましょう。
極力他人のストーリーを見ない
ストーリーは多々、投稿よりもマウンティング率が高いように思います。しかも24hで消えることからもストーリーは"リアリティー"が強すぎます。例えば誰かが去年の夏休みにハワイに行った写真を見るより、今この瞬間に誰かがしていることの方が現実味があり、それに対するネガティブな思いもより強くなる傾向にあります。こういったストーリーを見ないことによって他人のウホウホ攻撃に晒される確率が少なくて済みます。
これだけでもだいぶ違うはず。
ブロック、ミュート
いつもナルシスティックなセルフィーばかりあげている、自分自身の自慢ばっかり、恋人とのイチャイチャひけらかし、など "こいつのコンテンツによくイライラさせられたり不快な思いをさせられているな"、と思うユーザー、あるいは"友達"いますよね。
速攻ブロック、あるいはミュートすることをお勧めします。
ミュートするだけならフォローを外すことなくコンテンツをブロックできるので波風立たせたくない方にもオススメです。出来るだけ自分のフィードはクリーンに保っておきましょう。
それと"友達なのに投稿にいいねを押してくれない、ストーリーを見てくれないなんてヒドイ"とかいう人 (多少メンがヘラっている可能性大) には事情を話して分かってもらいましょう。それでも分かってくれないなら、彼らはあなたを自身の虚栄心を満たす為の駒としか見ていないということなので現実世界でもブロックすることをお勧めします。嫌な奴と無理してつるんでいては自分と本当に合う人々と会うチャンスをどんどん逃していってしまいますよね。
下:僕が考える僕らがあるべき姿について
SNSについて、さらにSNSを使っている人間の心理について知ろう
SNSで自慢して気持ち良くなってるはずが、実は周りの人だけでなく自分の精神にも悪影響を与えている、というのは虚しくないですか。最近何となくSNS疲れしているなーと何となく思っていてもちゃんと原因が分からなければ問題も解決しようがありません。知識は力なり、です。
思いやりを持とう
承認欲求を生れながら持ち合わせた我々は言わば、ナチュラルボーン構ってちゃんな訳です。メシ食いたい、寝たい、と同じノリで構ってもらいたいのが人間なのでSNS を全く使わないのは難しいと思いますし、必ずしも完全に手を引く必要は無いかもしれません。それでも自分たちの振る舞いはある程度変えられるはずです。これから自分が何かコンテンツをアップロードする前に一瞬でも「俺 / 私、ウホウホし過ぎていないかな」と考えることでゴリラから人間に戻ることが出来るはずです。
より多くの人が思いやりのある行動をとることで、この世界はより優しいものになると思いませんか?
オフラインでの時間を大事にしよう
一度カナダで裕福な家庭にディナーに呼ばれたとき、全員がケータイに注視して会話も少なく異様な雰囲気だったのを覚えています。今になって父がよく僕達に「飯食うときにケータイ触ったらあかん!」と怒ってくれていた意味が分かりました。家庭外でも街中でケータイばっかりいじってて隣にいるのに本当の意味で一緒にいないカップルや、グループで集まっているのに全員がケータイいじっていたりする""友達"も散見されます。繋がりたいのに繋がれない、悲しい現実です。
かといってケータイ捨てるわけにもいかないので、せめて大切な人と時間を過ごす時や一人で時間を過ごしたいときぐらいはケータイをほったらかしにしてみてはどうでしょう。すごく開放感があるし、より密度の濃い実りのある時間を過ごせるはずです。
僕がある女の子とデートしたときに、その方はデート中ほとんどケータイを触らず、一度親から連絡が入ったときだけ「ごめん、親からだからちょっとだけ返信してもいい?」と聞いてくれてとても素敵だな、俺もこうあろうと思いました。そういう経緯から僕は友達と遊ぶときも出来るだけスマホをいじらないようにしています。
"リスペクト"という概念は、現代人からどんどん抜け落ちていっている部分だと思うので、そういうところを大事に出来る人間でありたいと思います。
まとめのまとめ
まずはここまで読んで下さってありがとうございます。
自分でも興味のあるトピックなのでついつい熱が入って長くなってしまいました。
SNSに良い面もたくさんあることは分かってるつもりですし、問題は媒体ではなく常に人にある、というご意見もあるかと思います。
ただSNSについて学べば学ぶほど自分が知らなかった、そして知らなかったことが恐ろしいと思うようなことがたくさん出てきて、これは自分の中で整理する為にも、そして皆さんに知って頂く為にも自分なりの言葉でまとめて記事にしようと考えました。
少しでもお役に立てたならば幸いです。
またこの記事が意義のあるものだと感じてもらえたならば遠慮なくシェアして頂いて構いません。少しでも多くの人々が安らかに生きられますように。
また近いうちにお会いしましょう。
20歳の大学生がカナダで孤独を知った話
”あなたは孤独を知っていますか?”
今日は孤独について話します。
僕はカナダに来るまで孤独を味わったことがありませんでした。周りには常に家族や友達がいたし人に囲まれていることが普通でした。集団行動が苦手でグループで何かをするのもめんどくさい、グループラインもみんなどうでもいいこと話していて通知が煩わしい、親も色々小言を言ってきて鬱陶しいし姉との関係もお互いが思春期だったこともありそんなに良くありませんでした。一人の方が楽なのに、ってずっと思ってました。そんなボンボン(関西弁で坊ちゃん)の僕が一人で渡加したのは約三年前の19歳の時。学校が始まる1週間前ぐらいに来て初めの数日は色々バタバタしながらすぐ過ぎ去っていったのですが落ち着いてくるとだんだん一人で寂しくなってきました。
家族はもちろんいないし親戚も知り合いもいない、学校もまだ始まらないから一人で街の中を探検するぐらいしかすることが無く人と話すこともほとんどありませんでした。
あまりにも人と話さないから急に話しかけられとうまく言葉が出てこなかったりしたこともあったのを覚えています笑
人生初の孤独体験でした。
部屋を出るときに"行ってきます"という相手もいないし帰ってきたときに誰かが"おかえり"と言ってくれるわけでもない、そんな些細な気にもしていなかったことが恋しくなりました。
ある程度英語も話せるし学校始まればアメリカの時みたいにすぐ友達出来るやろうから大丈夫やろ、と思っていましたが甘かったです。結局最初の2セメスターはかなり孤独でした。留学生だけのカレッジにまずは入ったのですが日本人ほとんど居ないし英語得意じゃない人が多いので結局同じ国の人同士でみんな固まってそれぞれの言語を話し始めるので友達はできにくかったです。ご飯もほとんど一人で食べていましたし他のテーブルで生徒がガヤガヤと楽しそうに食べているのを見て"楽しそうでええな"なんて思っていました。日本の高校では群れるのが嫌いで出来るだけ大人数のグループを避けていた自分が今度はそれが恋しいんかい、隣の芝生は青いっちゅうやつやな、と思いました。そんなこんなで何とか片手で数えられるぐらいの友達は初めの学期に作ったのですが彼らも冬休みの間それぞれの国に帰ってしまいまた一人ぼっちになってしまいました。
その年の冬は30年ぶりぐらいの極寒の冬で雪がたくさん降りました。僕らのキャンパスは山上にあるため積雪量も多く外に出るのも下山するのもままならないので (雪が降りすぎてバスが山上まで上がって来れなくなってました) 僕は寮に引きこもっていました。
クリスマス前後は食堂も閉まってしまうので違うキッチンのある寮まで行って自炊するのが面倒だった僕はあんまりちゃんとしたものを食べていませんでした。
勉強嫌いの僕が学校を恋しく思い出したあたり、相当きていたのだと思います。
そして迎えたクリスマス。
日本では恋人がいないクリスマスを"クリぼっち"などと言いますが僕は文字通り独りだったので、”なるほど、これがクリぼっちか、破壊力やべえな”などと思っていました。
今までクリスマスは友達とだったり家族と美味しいものを食べる行事だったのにその年は寮の狭い部屋で一人でシリアルをかじることになり孤独の味を文字通り噛みしめることになりました。
そんこんなでその後は友達も出来てワイワイやってきているのですが今でもたまに特に理由もなく孤独感を感じることはあります。友達だって仲間だっているし数時間前まで誰かと爆笑していたのにふと一人になったときに、"あ、俺今独りや"って感じます。別にそれが辛かったり悲しっかたりするわけではなく(少ししているかも)ただ自分が今独りであることを認識する、といった感じでしょうか。僕にも孤独に対する免疫がある程度は出来たはずなのに。
まだまだ学ぶことは多いようです。
僕が自分なりの孤独を知ったことから学んだ/得たこと
- 人間いくら強がっても独りでは生きていけない
- 自分にとって大事な人を大事にすることは大事
- 当たり前は当たり前ではないという気づき
- 自分、人間の脆さと弱さ
- 自分自身へのより深い理解
- 一人になることは独りであることと同義ではない
1. 人間いくら強がっても独りでは生きていけない
今でも一人/少人数の方が楽、というスタンスは変わっていません。でも生まれて初めて独りになった時に孤独の重さを学びやはり人間は社会の中でしか生きていけない生き物だと身をもって学びました。
2. 自分にとって大事な人を大事にすることは大事
3. 当たり前は当たり前ではないという気づき
思春期の中高生にとって親ほどうっとうしい存在はいないでしょう。やれこれしあれしろとガミガミ言われると余計言うことを聞きたくなくなり、みたいなこともよくありますよね。僕もさっさと自立してこの家を出て行きたいなんて一人では生きていけないくせに生意気なことを思っていました笑。でも海外で一人暮らしを始めてからは家族の大事さや親のありがたみが痛いほど身に染みました。洗濯、自炊、掃除を自分でするのはもちろんのこと、早く寝なさいと言われない代わりに学校に遅れないように叩き起こしてもらえることもありません。親は偉大です。また異国の地で共に頑張れる世界中のあちこちから来た仲間の大切さも学びました。僕が今もこうしてカナダで頑張っていられるのは日本にいる家族とカナダ、そして世界中からの仲間のおかげなのでご縁を大事に生きていきたいです。
4. 自分、人間の脆さと弱さ
5. 自分自身へのより深い理解
アメリカでの交換留学中も一切ホームシックにならなかったし自分は割と適応能力も高く肝っ玉も太い方だと思っていましたが今思い返せばそれはアメリカのホストファミリーが英語もそんなに上手くなかった僕に優しく接してくれていたからなんだなと痛感しました。アメリカでも上手くやれたからカナダでも大丈夫!と思っていましたが一人で生きることの大変さを突き付けられました。その過程を経て自分自身の強さも弱さも再確認出来たし自分だって独りではこんなに脆いんだから人にも優しく生きていこうと思いました。
6. 一人になることは独りであることと同義ではない
一度孤独を知ってしまった僕はもうあんな思いをしたくないと出来るだけ休日も予定を入れ一人でいる時間がないようにしていた時期もありました。独りになるのが怖くて同じようなことをしている人、一人で時間を過ごしている自分を悲しい惨めなやつだと思ってしまっている人も中にはいるかもしれません。ではそうして常に人に囲まれていることが幸せなことなのでしょうか? ひたすらインスタグラムのストーリーズで誰かと遊んだりしているのをアピールすることが満たされることなのでしょうか? 一人ではないはずなのに独りになっていませんか? 日本人だけに限らず僕らの世代は孤独に対する恐怖感がとても強いように思います。
僕の中の定義では"一人"は自分の意思で選択したもの、能動的なものであり、"独り"は自分が望まずにそうなっているもの、受動的なもの、です。
自分が独りであると感じるならば手を打つ必要がありますが、もし"一人"でいることを"独り"でいることと勘違いしてしまっているならあなたは自分のことを苦しめてしまっているかもしれません。あなたが選んで一人でいるならそれを孤独と混合すべきではないし一人でいる自分を悪く思う必要もありません。
なぜならそれはあなたの意思決定の産物であるから。自分の弱い部分に流されるがままに人に囲まれ続けて摩耗してしまうぐらいなら一人でいられる強さ、そして一人でいていいという自分自身への理解を得ることの方が尊いです。
一人で時間を過ごすことで学べることも多いですし、一人で時間を過ごすことで仲間や大切な人と過ごす時間がより充実したものになると思います。
でもそうやって一人の時間を作ってもふとインスタなどで誰かが誰かと遊んだりしているのを見ると"ええな"なんて思うこともあると思います。僕ももちろんありますしそれはそれで良いと思います。「一人もええけどやっぱ友達もええよな、またあいつと遊ぼ」なんて思ってまた自分の一人の時間に戻ればいいんです。
あんまりいつもいつも自分に厳しくしすぎずに時に優しく見守ってあげましょう。
最後に
日本人は元々農耕民族であること+小さい時から学校でも給食の配膳、掃除当番などを通して集団行動をすることを叩き込まれているので個人主義の欧米諸国と比べるとどうしても一人でいることに抵抗を感じるのが自然だと思います。日本の量産型大学生などが典型的な例でしょう。はみ出したくない、みんなと同じがいい、うまいこと溶け込まなくちゃ、と自分を殺してでも独りにはなりたくない、という考えの日本人が多いように感じます。
僕が海外で初めて独りになって学んだことは沢山あったし、孤独を知ることで一人でもいいんだということを身をもって理解できました。
恵まれた環境にいる自分が"孤独"という重めのテーマについて書くことの是非は考えたのですが今海外の大学生の間でも"孤独"が問題になっていることを論文のリサーチ中に知り自分のことについても書いてみようと思いました。
この記事が読者の皆さんが"一人"と"独り"について考えるキッカケになれたならば本望です。
-留学生の皆さんへ-
もしあなたが異国の地で独りで辛いなら学校で友達や一緒に時間を過ごせる仲間を作る努力をするのも手ですしカウンセラーなど誰かの助けを借りるという手もあります。もしあなたが僕のような留学生で孤独で辛いけどどうしたらいいか分からない場合は学校にいるスタッフやカウンセラーと話をするのもいいでしょう。日本ではカウンセラーというと精神病を患っている方用のもの、という間違った解釈がまだあるような感じがしますが海外ではもっと気軽に行けるものです。勇気がいるかもしれませんが是非活用してみて下さい。その他には筋トレ、ヨガ、瞑想などもオススメです。
孤独感を感じることは悪いことなんかではないし、僕も含めた多くの留学生が経験することだと思います。まずは自分を追い込みすぎず受け入れてあげるところから始めてみて下さい。You are worth more than you thinkです!
-おまけ-
僕の好きなlogicというラッパーが孤独やsocial anxiety に悩む人に向けて書いた曲です。
英語×早口なので和訳と共に一度聴いてみて下さい。