僕のネットいじめ経験談とAIにとって変わられる人間達について (後編)
前編はこちらからどうぞ!
こんにちは!
今回は前回の続きということで、主に僕がネットいじめを受けて学んだことと、AIにとって変わられる人間達について書いていきます。
ネットいじめを受けた経験から学んだこと
信頼できる人間のみと付き合う
仲のいい友達からよく言われることですが、僕は人間関係を切る時は容赦なくその人を僕の世界から完全にシャットアウトします。
僕は基本的には誰とでも仲良くできるし、友達も一定数ちゃんといます。
また基本的には来るもの拒まず、去るもの追わずで、自分の大事な人はしっかり大事にするリラックスした人付き合いを心がけています。
しかし、これは超えてしまうとおしまいやで、というポイントがいくつかあります。
具体的には自身のアイデンティティ、または大切な人への悪質な攻撃があった場合に、僕はその人を見限ります。
別に相手に何かを危害を与えるわけではありません。
ただ相手を自分の世界から物理的、精神的に完全にシャットアウトするだけです。
そもそもこんな事態に陥ることはほとんどないのですが、その少ない事例が多少えぐい印象を残したのだと思います。
しかし付き合う人間をしっかり選ぶことで人間関係のトラブルは無くなったし、いいご縁に恵まれるようになりました。それが今の穏やかな人生に繋がっています。
痛みが分かるようになった
今も多少そうですが、僕は元々「他人は他人。自分は自分。」とドライな信条を持っていました。
ずっと受験戦争を戦って、他人と競争してきたというのもあったと思います。
しかし傷つけ、傷つけられることで初めて自分と他人の痛みを知ることになりました。人間、自分が経験したことでないと真の意味で理解することは出来ません。痛みもまたその一つ。
自分の痛みが分かるから、他人を傷つけようと思わないし、傷つけられることの辛さを知っているから、他人にも自分にも優しくできる。
そこまで完璧な人間にはなれないけれど、あの痛みが僕を少し人間に戻してくれたのかもしれません。
他人の痛みを分かろうとしている。それは武士としては大切なことだ。そういう侍がいなくなったから、世の中はこんなことになった。お前も傷付いた時には、痛いとも苦しいとも言わぬだろうな。
(壬生義士伝)
オンラインいじめが横行する理由
ネットリテラシーの低さなども大きな問題ですが、僕はもっと本質的なところに原因があると思います。
それは道徳観の欠如と市場価値至上主義です。
道徳観の欠如
元々日本に聖人君主が溢れていたわけではありませんが、日本人の思想が西洋から流れ込んできた個人主義、拝金主義に汚染されたのも事実です。
元々、東洋には孔子や孟子などの優れた思想家達がたくさんいました。
日本にも「武士道」という概念があったり、「和を以て尊し」という言葉がある通り、道徳教育は盛んに行われていました。
僕は極端な懐古主義者ではないので、それらが絶対正義だとは言いません。
しかし、そのような文化のもと成長してきた国に、西洋式の教育、社会システムをぶち込んだ結果、様々な歪みが生まれ、その一つが日本人の道徳観の欠如であると考えます。
学校でも家庭でも社会でも、道徳を教えてもらうことなく育ち、当たり前のことを当たり前に出来ない人間の数が増えました。そして当たり前じゃなかったことが当たり前になってしまいました。
挨拶が出来ない、「ありがとう」「ごめんなさい」が言えない、他人を思いやれない等々。
別に体罰やハラスメントを肯定しているのではないです。
しかし、叱ってもらえないことで、道徳観を養えずに育った人間が増えたことも、社会でのいじめが増えた原因の一つではあると考えます。
市場価値至上主義
そもそもなぜ親は子供を学校に行かされるのでしょうか。
義務教育だから、など様々な理由がありますが、その一つに「子供の市場価値を高めて豊かな人生を送らせてあげたいから」というものがあります。
市場価値とは簡単に言ってしまうとお金を稼ぐ力、すなわち年収です。
大卒の平均年収は高卒よりも多いし、大学のランキングと年収にも大きな関係があります。
子供に豊かな人生を送って欲しいと親が思うのは当然のことだし、その結果、子供に受験をさせて偏差値の高い学校に行かせてあげようとすることも自然なことです。
また親に勧められなくても、優秀な学生達は偏差値の高い大学を目指します。
これは彼らなりに、市場価値というものを理解し意識しているからでしょう。
これは大人になってからも続き、「常に自分の市場価値を理解しよう」「あなたは社外でも生きていける人間ですか?」と煽られ続けます。
その結果、生まれたのが市場価値至上主義です。
市場価値=年収=その人間の価値、といったものです。
この市場価値至上主義が人々を強制的に常に周りの人間と自身を比べさせることで、長期に渡って人々を苦しませる。そして自分より価値の高そうな人間の存在を疎ましく思うようになる。最終的にそのストレスの吐口をネットいじめに見出してしまう、というのは論理の飛躍が過ぎるでしょうか。
確かに生きていく上でお金は大事です。
僕自身も裕福な人間になろうと決めているし、そのためには自身の市場価値を高く保っておくことが重要なのも理解しています。
しかし、市場価値=人間の価値、とするのは違うと思います。
それでは人々をドラッグ漬けにして大金を稼ぐギャングは、他の人にも食べ物を分けてあげられるホームレスより人間として価値が高いのでしょうか。
罪を犯しても大富豪なら罪が軽くなるような世の中が、あるべき姿なのでしょうか。
僕はそうは思いません。
しかし、そんな綺麗事も真っ当な方法で力を手に入れた者が言うことでしか説得力は生まれません。なので僕はあえて一見、古臭そうな「士魂商才」という考えを座右の銘にして生きていこうと考えています。
また今はもてはやされている市場価値至上主義も、近い未来では時代遅れのものとされると考えています。次の章では、どんな人間がAIにとって変わられて、なぜ私達は人格主義の回復に努める必要があるのかを書いていきます。
AIにとって変わられる人間とは
昨今、AIにとって変わられる仕事リストなどが出てきて世間を騒がせましたが、ここでは僕が考えるAIにとって変わられる人間の特徴について書いていきます。
人間性の無い人間
人間と機械の一番の違いは人間性の有無です。
人情、友情、愛情、思いやり、道徳心。
これらは人間にしか身に付けられないものです。
それなのに、その人間性を捨て去ってまで生産性、効率性をのみを追求するのは本質的ではないと僕は考えます。
軽トラに馬鹿でかいエンジンをぶち込んでハイオク満タンで「生産性上げてくで〜!」と気合を入れて、F1のレースカーと張り合おうとしているようなものです。
いやお兄さん、自分乗ってんの軽トラやで、け、い、と、ら!みたいな笑
いわゆる意識高い系の人々も、投資やキャリアアップのためのインプット / アウトプットをすることはあっても、道徳や人としてのあり方について学び直して人間性を高めようとしている人は多くないと感じます。
生産性、効率性にばかり気を取られて、僕たちは道徳を忘れ、人間性を失ってきているのではないでしょうか。
このまま人間性を失い続ければ、僕たち自身が機械に置き換えられることになるでしょう。なぜなら人間がいくら頑張っても、機械の生産性、効率性には勝てないからです。
人間なんて元々、効率の悪い生き物です。
100年も生きれば良い方だし、記憶力も限られている。
さらに生存のためには酸素、食糧、水、睡眠が必要です。
そんな不完全な人間が唯一機械に勝るところが、人間性を持っているところなのにそれを自らの手で無くしてしまうのは本末転倒では無いでしょうか。
軽トラにも軽トラにしか出来ないことがあるのです。
音楽をかけながらゆっくり走ることもできるし、未舗装路も走破できる。
何かを荷台に載せることも、誰かを乗せて一緒に走ることも出来ます。
F1カーで一人でビューンと舗装されたサーキットを決められた通りに高速で走り回るのは機械にやらせておけば良いのです。
僕たちは自分達にしかないもの、人間性の価値を再確認して、道徳というもっと本質的なところに目を向けるべきではないでしょうか。
バリュー民族
コンサルタント などを中心にwanna beコンサルタントピーポー達 (意識高い系を含む) に大人気なのが生産性、効率性至上主義です。またの名を時給思考、バリュー思考とも言います。
僕もこれらの人達と近い思考をしているかもしれません笑
「それのバリューは?」
「バリューだしてるの?」
「あなたのバリューは?」
「あなたの時給は?」
いつも"バリュー"などの横文字ばかり使って喜んでいるので、勝手にバリュー民族と名付けましたw (横文字ばっかり使っている奴らの大半って英語話されへんよな)
このバリュー民族の中でも様々な人がいて、本当に優秀な人はほんの一握りです。
あとは適当な自己啓発書を読んだりして"覚醒"しちゃったおめでたい方達です。
AIにとって変わられるのは、このおめでたバリュー民族です。
これからは仕事はどんどんAIが代わりにしてくれ、本当に優秀な一部の人間以外は仕事をしなくなる、というかできなくなります。そして現代社会では "無駄"で、"必要のないもの”が大事になってくるからです。
それは僕が繰り返し言っている道徳心や人情はもちろん、趣味や生きがいなどもそうです。
PDCAサイクルを効率的に回して、生産性をあげながら、自分の時給単価を高めることで、バリューを生み出すのもいいですが、"無駄"で"必要のないもの"を切り捨てるあまり、自身が無駄で必要のない存在にならないようにすることも大事です。
自戒の念も込めて書いているので、僕がこうなっていたらリアルの友達が止めてくれることを願っています笑
まとめ
以上、僕のネットいじめ経験談とAIにとって変わられる人間達についてでした。
いじめの話がなんでAIの話になんねん、と突っ込まれそうですがそこはご愛嬌ということでよろしくお願いします。
あと最後に僕のオススメの本ですが「壬生義士伝」と「論語と算盤」をあげておきます。キラキラな自己啓発書も面白いですが、たまには読み応えのあるものを楽しむのもいいと思います。
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ほんなら!